(真力)切目金剛童子十一面義芙和尚顕給,面色紫色,着黄衣,左念珠,右棒連花,藤代大悲王子千手智証大師顕給,多羅莱在ス,童形也,温峯童子口麟口昌員誓ロロロロ,□□口村上院御参詣時塁,先達御正鉢常住半権現卜可拝也卜告給;西田長男氏の研究によれば,村上天皇の熊野御幸は確証がなく,この書が記されたのは後の延元元年(1336)であったという。したがって,ここに記された本地や形像,そしてこれらを顕現させた僧の交名なども,当時までに成立していた伝承と解すべきだろう。では,14世紀頃成立していた伝承と13■14世紀に制作されたと考えられる現存する熊野曼荼羅とでは一致するものなのであろうか。現存する作例のうち,熊野王子を表現する作例には次のものがある。(番号の下のO番号は,拙稿「熊野曼荼羅図考」の作品番号を示す。また末尾の数は描かれた王子の数を表す。)1.①京都・聖護院蔵14世紀(重文)(9) 2.②和歌山・熊野那智大社蔵13世紀(9)3.③京都・仁和寺蔵14世紀(10)4.⑥和歌山・青岸渡寺蔵15世紀(8)5.⑨京都・聖護院蔵14世紀(9)6.⑩東京・住吉宗三氏蔵15世紀(9)7.⑪京都・高山寺蔵14世紀(重文)(9) 8.⑫東京・根津美術館蔵14世紀(9)9.⑬和歌山・熊野本宮大社蔵14世紀(9)10.⑭兵庫・湯泉神社蔵14世紀(重文)(9) 11.⑮和歌山県立博物館蔵14世紀(9)12.⑯東京・静嘉堂文康蔵14世紀(重文)(9) 13.⑰京都・聖護院蔵14世紀(6)14.⑲愛媛・明石寺15世紀(9)15.⑳大阪・阿形邦三氏蔵15世紀(11)以上の作品に表された各王子の図像は次のようにまとめることができる。各図のわきに添えられている墨書銘をもとにまず像主を判定したが,題箋の墨書にはかなり錯誤が認められることから,そのような場合には図像の共通性から像名を判定した。ま(配リ-203-
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