鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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⑮ 鍬形惹斎紹真(北尾政美)の総合的研究年(1764)に江戸で生まれた。星野朝陽によれば,研究者:調布学園女子短期大学助教授小澤本研究は,浮世絵師としては破格の大名家御用絵師に登用された近世後期の江戸の絵師であった鍬形恵斎紹真(浮世絵師名:北尾政美)をとりあげ,恵斎の作品(肉筆画・錦絵・摺物・版本挿絵など)の総目録の作成,惹斎の関連資料の集成を行い,このような調査研究をとおして近世後期の特長ある絵師についての総合研究を行うことを目的とした。この報告は,今回調査研究を実施できた版本作品のデータ化による作画数の傾向・版元の推移について,また俳諧世界(雑俳)との関連作品である摺物「江都名所図会」についての分析,肉筆画の所在調査における成果の一端について(寛永寺所蔵「黒髪山縁起絵巻」,大英博物館所蔵墨画「遊女と禿図」)などをとりあげた。さて「近世職人尽絵詞」三巻のような当世振りの諸職風俗や,「江戸一目図屏風」六曲一隻や摺物の「江戸名所之絵」などを描いた鍬形恵斎紹真は,吾妻錦絵の誕生する前年の明和元父は駿河国興津の人で田中義珍といい,江戸へ出て畳屋赤羽源左衛門の養子となったという。慧斎は,初名は三二郎または三二と称したことは津山藩松平家文書の記録や,安永末年の作品の署名からもわかる。この出自の職業の畳屋と,名の三二から「畳屋の三公」と通称されたことは,後述する「黒髪山縁起絵巻」の筆者である江戸前御畳大工中村弥太夫こと仏庵との関係からも,きわめて興味深いことである。さて天明・寛政期に入ってからも,気まぐれのように時たまに版本には「北尾三二政美」の名を用いている。安永七年(1788)の黄表紙仕立て咄本『小鍋立」二巻が,現在のところ恵斎の作画活動を見ることができる初出である。これには巻末に「北尾重政門人三治郎十五歳画」とあり,浮世絵の北尾派の版本挿画絵師とし紹真筆「遊女と禿図」大英博物館所蔵弘-207-

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