鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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ちみつン人スツッツェルとの関連を強く喚起させる作例なのである。細部を見ると極めて緻密C.J.A.Jorg氏が「JapaneseLacquerwork Decorated after European Prints」と政4)年の年記と「Verlakt bij Sasaj a in Japan」の款記を有する蒔絵プラークの存1782年に版行したものである(図7)。アムステルダム国立美術館にこのシリーズの4枚3)。裏面には青貝細工によって特徴的な折枝文が配され,筆者の特定によると,原図であるフランス製銅版眼鏡絵(図4)の下部から写した「聖ペテルスプルクのネワ河の眺望」であることを示す一文とロシアの紋章が記されている(山形・致道博物館本は下部が切断されている)。この洋文字もすべて長崎の日本人工匠の手になるものである。スツッツェルの滞在期と重なる1788年(天明8)の年記と「Japonica Factum」の筆記体の金文字が裏面に記された肖像図プラークも別に見出された(図5,6)。これは題する論考の中で言及しているのと同一作例である(拙稿「江戸時代後期における輸出漆器の資料」『神戸市立博物館研究紀要』第9号所収)。このプラークはスウェーデンのグスタフIII世を銅版画に基づいて蒔絵で加飾していることから,先のスウェーデな毛打ちによる線描きに特質があり,原画である銅版画のハッチングの描線を丹念に漆工芸に写し変えるエ匠の苦心が浮かび上がって米る。また髪や目,勲章の表現に青金を用い,平蒔絵が単調に陥らないようにエ夫してもいる。黒漆地にきっぱりと際立ってグスタフIII世が金色に浮かび上がる点は,極めて東洋的であり,同時にある程度の銅版画の描線を模した人物の立体的把握が達成されている点,注目に値する。すなわち,純西洋的モティーフが日本の漆器と融合し,全く新しい工芸美を造形していることが評価できるし,当時のヨーロッパ人の好み,それに応じる長崎の漆工の技術の高さ,洋風表現の習熟度などの諸情報もまた本作から読みとれるのである。英蘭海戦図をめぐって先述のスツッツェルの言葉の中に「海の合戦図」を依頼した,とあった。それがいかなる作例かは明らかでないが,類似したモティーフとして思い浮かぶのは1792(寛在である。これは「ドッガースバンク海戦図」と称される作例で,やはり銅板に黒漆を焼きつけ,金銀の蒔絵,覧買など種々の技法を駆使して,絵画的ニュアンスに富む全く新しい工芸に結実させている。原画は,やはり銅版画で,1781年の英蘭海戦の様子をJ.F.レイツ(J.F.Reitz)の描いた下絵をM.サリエト(M.Salliet)が彫版し,の長崎製プラークが所蔵されているが,筆者はロンドンのオークションに出された新めがねえせんが-217-

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