かきもんけんざんあわたぐち鎖国期の西洋趣味として,注目に値する作例と言えるだろう。この京阿蘭陀は,粟田口後の天保13年(1842)であることも台の収納箱から特定できる。記録から,将軍が尾張藩の江戸屋敷を天保3年(1832)3月23日に訪問したことが裏づけられ,その際に購入したものと推測されている。花生の意匠は家屋に橋を配した西洋風景図で,裏面には城館風の建築物の遠景が描かれている。台座も同様式で,補修があるものの実に入念な絵つけを示す。明らかに本器は,オランダより輸入されたデルフト陶器の雰囲気をとり入れ,日本人の富裕階層の好みにあわせて創造された日本的器物なのである。焼の軟陶の系譜に属するもので,乾山窯の作例に基礎を置いている。先の花生の類品として,完成度の高い西洋風景を施した刀掛けや大皿など(図13,14, 15),工芸的にも絵画的にも完成度の高い作例が伝存している。これらもやはり天保初年頃の京都製と判断される。とくに大皿の意匠は徳川美術館の作と類似している。輸出用漆器に西洋絵画を入念に蒔絵で写しとり,新しい工芸を創造することは,出島のオランダ人の発案であるかも知れないが,この一連の京阿蘭陀焼は,全く日本国内の西洋趣味に応じた日本人の創案である。京阿蘭陀焼は西洋絵画を意匠として中心に配しつつ,花丼文や唐草文で余白を埋めており,こうした異様な密度は,むしろ京都の絵つけ師が意識して西洋風に装飾しようと意図していることによるものと思われる。しかしやはり,それはどう見ても日本的な表現なのである。先述の輸出用の漆器にも,そしてこの京阿蘭陀焼にも同様に複雑な東西の美意識の混在が読みとれるわけであり,そこにこそ考察に値する美術史的問題が含まれているのである。図13染付西洋風景図刀掛け神戸市立博物館蔵(新収品)図14図13の裏面-221-
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