鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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が大量に求められるようになると,織部や古九谷の文様は,もうそぐわないものになってしまったのである。陶磁器製食器の大量生産が始まるのは,江戸時代中期以降である。この頃から,経済力を付け出した人々が,祝儀や法事等に用いる食器に伊万里の碗や皿を加え始めたのである。これらの器は,とりたてて奇を街ったものではなく,機能的で扱いやす<,美しい。そして,伊万里に手の届かない人々は瀬戸美濃製品を買い求めたのである。瀬戸や美濃では,大皿,小皿,湯呑茶碗,猪口,蓋茶碗,鉢,徳利等が作られた。文様も様々である。大皿は器形,釉調等の違いから石皿,絵皿,馬の目皿に大別されているが,石皿の文様としては松や柳,鶴等を一つ見込に大きく描くものが多い。絵皿は石皿のように海老等を大きく描くものと,石皿には見られない風景文,花束と蝶文,菊花文等を描いたものがある。馬の目皿は皿の周縁に,馬の目とも思える渦巻文を並べたものである。今度の調査によって,これらの文様の多くは,その原型が,伊万里の染付磁器の食器の文様にあることがわかってきた。柳,鶴,海老,花束と蝶,菊花文等がそれにあたる。また,絵皿に描かれた烏を主題とする風景文は,中国明代の染付磁器に数多く描かれた水禽文に倣ったものであるらしいこともわかってきた。また『八種画譜』に倣った梅図を描いた絵皿が確認された。大皿の文様は,もちろんすべてが伊万里や中国製品の模倣ではないが,写しの文様が様々な変化形を生んでいることや,文様を描く筆の手慣れた様子等から,模倣の製品はかなり数多く作られたことが推察される。猪口の文様としては菊花文,葡萄文,唐草文等があるが,いずれも伊万里の文様に原型が見い出せる。表面の全面に呉須をかけたものは,伊万里の瑠璃釉を写したものと思われる。湯呑にも梅花文や菊花文のもので,伊万里のそれと,器形,文様共にそっくりなものがある。蓋茶碗は吸物碗,煮物碗,奈良茶碗等があるが,草花文,総呉須がけのものは伊万里の模倣である。麦藁手と呼ばれる縞文は,京焼に同様のものがあるので,倣っている可能性もある。また蓋碗の中には松葉文や網目文等,漆塗の蓋茶碗の文様を取り入れたものもある。このように,江戸時代後期の瀬戸美濃製の食器は,伊万里をはじめとする他の食器の文様をかなり取り入れたものであることがわかってきたのである。一方,貯蔵用と思われる徳利や,抹茶用の茶碗に目を向けると,他の製品の影響を-16 -

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