研究者:岡山大学教養部助教授井上明彦ファン・グリス(1887-1927)が自らの制作方法を「演繹的(deductive)」と称したことはよく知られている。この用語をグリス自身が自覚的に用いたのは1920年代になってからである。「私は一般から特殊へ赴く。つまり抽象から出発して現実的事実に至るのだ。私の芸術は,レイナルが言ったように,総合の芸術(artde synthese),演繹的芸術(artdeductif)だ」(L'EspritNouveau, No. 5, 1921 pp. 533-534)。「まれな例外を除いて,制作方法はいつも帰納的なものであったといってさしつかえあるまい。人は決まった現実に属するものを絵画化してきたのであり,主題からタブローを引き出してきたのである。私の制作方法はまさしくその逆だ。それは演繹的なものである。私の主題にタブローXがうまく一致するのではなく,主題Xが私のタブローにうまく一致するのである」(「わが絵画についてのノート」DerQuerschnitt, No. 1, 2, Sommer 「演繹的」という用語こそ用いていないものの,グリスは1919年から20年にかけて,自ら獲得した制作方法や理念について意識的な言語化を試みている。それは「要素家は美しいモデルや美しい主題によって詩的な目標に到達しうると考えてきた。私たちは美しい要素によってそれに到達しうると考える。なぜなら精神の要素が最も美しいのは確かなことだからだ」と述べ,また“Action"誌のアンケート(1920年4月)では,ギリシア美術は「個物に基づいて理念型を暗示しようとする」のに対し,黒人彫刻は「一般的なものを個別化する」と語る。方法のこうした「理論」化には,詩人ピエール・ルヴェルディやポール・デルメ,批評家のモーリス・レイナルらとの交流が影を落している。だが,そもそもこの演繹的方法,つまり「瓶を円筒に変えるのではなく,円筒から瓶をつくる」方法,いいかえれば主題を操作してコンポジションヘと統合するのではなく,コンポジションから始めて主題へと至る方法を,グリスはいつどのようにして手に入れたのか。本研究の中心課題は,まさにこの演繹的方法の具体的な形成過程にあった。その確立時期について,まず注目されるのは1919年8月25日付のカーンワイラー宛の手紙でのグリス自⑰ グリスのキュビスム1915-1919 1923 pp. 77)。(element)」とか「理念型(typeideal)」といった概念に関わるものである。例えば," Valori Plastici"誌のフランスのキュビスム特集号(1919年2,3月)では,「芸術-223-........
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