1915-1921, Centre Georges Pompidou, 1991)。セザンヌの静物の複製図版を横断すまりは無味乾燥だが,結果は目のさめるような」演鐸的方法の端的なデモンストレーションでなくて何であろう。むろん対象の「個別化」に当って,グラスならグラスのある程度の図式が潜在的に獲得されているはずであり,演繹的方法の確立は,そうした図式が絵画的な「韻」を通じて画面の構造骨格と内的に結びつくことを前提とする。ここで詳述する余裕はないが,対象から出発せず,システムから出発する方法への決定的飛躍は,1917年末から1918年春にかけての「枠」を画中に導入した一連の静物画(むろん本作を含む)にうかがえることを指摘しておきたい。本研究助成を受けた1992年度は,グリス研究にとってかつてなく恵まれた年であった。まず第一に,パリ国立近代美術館学芸員のクリスチャン・ドルエ氏の手によって,長らく非公開であった1915年から21年にかけてのグリスと画商ローザンベールの間の書信がまとめて紹介され,合わせてグリスがこの頃構図研究に用いていたシャルダンやセザンヌの絵葉書が公開されたことである(JuanGris, CorresjJondance et Dessins るグリスの直線は,ル・コルビュジエがミケランジェロのローマのキャピトールの図版の上に引く指標線(traceregulateur)を思わせる。また書簡類は,カーンワイラーとの交流がとだえたこの時期の情報の空白を埋めるだけでなく,ドルエ氏の指摘するように,従来のグリス研究の規範となったカーンワイラー=クーパーの著作の客観的基盤を揺がすものでさえある。というのも,画家との具体的交渉に由来する資料に基づいた彼らの著作は,その資料によって論理的整合性と説得力を保証されていたからである。グリスの手紙については,クーパーによって一度まとめられたことがあるが(D. Cooper, Letters of Juan Gris 1913-1927, London, 1956),原語のフランス語・スペイン語のニュアンスはクーパーの強引な英訳によって損なわれている場合が少なくない。画家の息子ジョルジュ・ゴンザレス・グリス氏の要請を受けて,近い将来グリスの全書簡と資料を原語で出版する計画が予定されており,それはグリスのみならずフランス・モダニズムの研究に新しい光を投ずるものになるだろう。現時点で言えることは,画商ローザンベールの活動の重要性である。キュビスムの「秩序への回帰」は,大戦を背景としたフランス国家の大きなイデオロギー転換の一部であり,ゲルマン文化に対抗するラテン文化の顕揚と結びつくものであることはすでに指摘されているが(cf.Kenneth E. Silver, Esprit de Coゆs,Princeton U. P., 1989), ローザンベールとの往復書簡を読むと,この画商が古典的美学のプロモートの焦点にグリスを位置シェーマ-226-
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