あまり受けていないように思われる。これらのものの多くには文様もなく,装飾的なことと言えば,異なる色の釉を部分的にかけて景色とするぐらいのことである。しかし瀬戸美濃地方に伝統的なこの装飾法は,安易ではあるが二重がけした釉が自然に流れて,思わぬにじみを作ったり,釉の流れの様に力が感ぜられたりするなど,やきものならではの美の表現が可能である。貯蔵用の徳利は人目を引く必要がないから,美しい文様をことさら描く必要はなかった。また伊万里には抹茶茶碗がない。白い肌の茶碗は人々の求めるところではなかったのであろう。楽茶碗や,瀬戸美濃で作られた,釉の変化が楽しめる,厚手のものが好まれたゆえに,この器種については,先進地伊万里に倣う必要がなかったのである。しかし大皿や猪口や蓋茶碗の場合は事情が異なる。これらは伊万里を揃えたいけれど,購うことの出来ない人々が買い求めたものである。であるから,少しでも伊万里製品に近いことが良いことであったのである。材質の違いから,白い肌までは写すことが出来なかったけれと`,形と文様は近いものを作り出すことが可能であった。ところで,瀬戸美濃で磁器の焼成が始まるのは,伊万里よりも200年近く遅れた,19世紀前半代である。しかも当初は,少数の陶エが一品製作に近い形で高級品を作るといった程度であり,食器の本格的な大量生産は明治まで待たなければならなかった。この磁器生産の初期に,伊万里ではなく,中国製品を写したものが少なからずあることは興味深い。当時,かなりの範囲で普及していた伊万里よりも,さらに高級品であった中国製の染付磁器,しかも祥瑞という,明末までさかのぼる精巧な製品を写しているのである。大量生産の可能な陶器は伊万里を写し,伊万里と同質の染付磁器は伊万里よりも高価な中国磁器を写すという構造。なんとたくましい生産方式であろう。今回の調査では瀬戸美濃が模倣した伊万里の文様について,その出自や系譜を調べることが出来なかった。伊万里と中国製品との関係,そして伊万里製品が200年以上かけて育くんだ文様の流れ等々,今後に残された課題は多い。また瀬戸美濃製品については,近年新資料が少しずつ明らかにされ,今までの認識を改めさせるような,造形的に優れたものがあることがわかってきた。庶民の雑器というイメージを破る,これらの資料の発掘に努めるとともに,写しもの以外の文様についても調査を進めることによって,瀬戸美濃製食器の文様の実態を明らかにしてゆくことが急務であると考えている。-17 -
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