frutas y caza)に対して,王室より彼に与えられた100アールの支払い記録である。マサチューセッツ,ウイリアウム・カレッジ美術館署名と1629の年記27)<花と果物のある静物>0.84X 1.31m ニューヨーク,リラ・アンド・ハーマン・シックマン・コレクション(1985年展覧会カタログNo.21)署名と1629の年記なお今後も作品調査をさらに重ねる予定であり,調査の進展にともなって,帰属認定を随時見直し,修正していくことになろう。現時点においては,上記の作品群をファン・デル・アーメンの画風を検討する際の対象とすることを確認しておく。さてJ.カベスタニから近年のペレス・サンチェス,J.ジョーダンに至る研究の現状を踏まえ,現段階における,ファン・デル・アーメンの静物画の形成と展開,またその特質に関する知見の概略を以下に総括しておく。ファン・デル・アーメンは1615年頃画家として独立したと推定され,その活動期間は1631年に夭折するまでの約16年間に過ぎない。現存する彼の静物画はすべて1620年代に成立したと見られるが,彼の創作活動に関する最初の記録は1619年にエル・パルド宮殿の南ギャラリーを飾るために制作された「果物と狩の獲物の絵」(unlienzo de この記録は,①既に画歴の最初期において,ファン・デル・アーメンは静物画を創作の主分野としていたことを示すものであり,この点はサンチェス・コターンのような独立静物画制作の第一世代の画家と決定的に異なる。②王室による1619年の委嘱は静物画家としての地位を保証した。1620年代初頭の静物画の量産は,これを裏書するものと理解される。ファン・デル・アーメンの修業過程について確実なことは知られていないが,まずサンチェス・コターンの作品を最も重要な霊感源として形成されていったと考えるのが,妥当と思われる。それはコターン作品に特徴的な「果物と狩の獲物」という題材が,上述の通り,既に1619年のエル・パルド宮殿のための作品で選定されていたことに加え,1620年代初頭の作品群において,①猟鳥野菜,果物などのモティーフ選択,②)暗闇を背娯とする窓枠形式の採用,③猟鳥や果物を糸で中空に吊り下げるという趣-233-
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