鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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向を繰り返し用いているなどの諸点からである。同時にコターンの静物画との相違点もまた看過しがたい。①コターンの即物的な厳しい写実にかわって,モティーフの扱い方と表現は簡略化,抽象化される傾向が認められること,②「貧の美徳」をシンボライズするかのような,コターンの慎ましいモティーフ選定と簡素な色彩にかわって,豊かな色彩美,菓子類やガラス・金属・絵付のある陶製の器物などを好んで導入し,ファン・デル・アーメン自身が所属する宮廷生活の物質的豊かさと洗練を反映する傾向があることなどである。この点において,オアシス・ベールトやフランス・スネイデルスに代表されるフランドル静物画は,恰好の霊感源となったことは疑いない。水平台上に配置する例,②縦長の型式の画面を採用する例,③風景の見える窓を導入し,虫や小鳥のいる豊かな果物を卓上に配する例,④食卓画など,様々なタイプの新しい試みが並行して行われている。これらもまた,世紀初頭のフランドルの静物画を主たる霊感源に出発したと見られるが,それはファン・デル・アーメンの顧客層である宮廷貴族のフランドル風静物画に対する高い需要に応え,かつ画家自身コターンの伝統から脱却するための模索でもあったと解されるのである。この時期にはまた,ファン・デル・アーメン同様,コターンの影響下で形成された画家アレッサンドロ・ロアルテと,相互に感化を及ぼし合う緊密な関係を形成していた可能性があることも看過しえない。ファン・デル・アーメンの静物画の最も際立った特質のひとつに,秩序ある厳しい構図への志向性があげられる。殊に,厳正な左右相称構図は,20年代初頭以来,単独画面においてだけでなく,二点一組の対形式において展開される例も少なくない。この構図法は,日常生活のコンテクストから静物を解放し,画面に不動性と記念碑性を付与しているが,その効果は1620年代後半の作品群において最大限に発揮されたのである。この20年代後半の作品群は,全般に,画面規模が著しく拡大されたうえに,ニ点一組の対形式で構想されている例の多いことは注目に値しよう。それは,従来の静物画の観念を越える,壮大さと記念碑性をそなえた「高貴な」静物画を創出しようとする,画家の新たな試みであったととらえられる。1620年代初頭の作品群においては,多数を占める窓枠形式の他に,①モティーフを-234-

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