鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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⑲ 江戸期の松前地方における美術・小玉貞良を中心に研究者:北海道立近代美術館学芸員五十嵐聡美江戸期における松前藩政下の文化は,陸路ではなく海路を通じてダイレクトに上方の文化の影響を受けていた。つまり,蝦夷交易権や場所請負の多くが,近江商人をはじめとする畿内商人,北陸商人によって掌握されており,彼らは,上方から衣類,生活調度品を運び,売りさばくと同時に上方の生活そのものを移植したのである。一方,蝦夷地には,東北各地からの出稼ぎ農民が移住しており,近江商人にとっての貴重な労働力となっていた。道南地方は,今でも言葉や生活風俗に東北の影響が感じられるが,それは,ごく当然のことなのである。しかし,江差地方に残る上方文化の影響は色濃く,例えば,江差の伝統ある「姥神祭」は,京都の祇園祭の流れを引くものであるし,ニシン漁で栄えた江差の横山家,中村家は,京風建築を基調に寒冷地での生活を考慮して建てられたものである。宮下正司氏は,このように海路のみが唯一の交通手段であった松前,江差の文化を日本海文化と称すべきものとしている(註1)。こうした江戸期の松前,江差の港の様子を紹介する図版としてよく使われているのが,「松前・江差屏風」である。近江商人の活躍によって,「江差の春は江戸にもない」といわれた松前,江差の港の活況ぶりが実に生き生きと描き出されている。作者は,落款から小玉貞良と知られるが,貞良そのひとに関する文献資料はいまだ発見されておらず,現存する作品の落款から,松前に生まれ(註2),松前を拠点に宝暦年間の活躍が確認できること,70オ以上の生をうけていることが知られるだけである。貞良の画暦については,ほとんど不明であるが,「松前・江差屏風」が,松前,江差で活躍した代表的近江商人の家に伝わるもので,近江商人の注文で描かれたものであるということは注目される。また,貞良は,蝦夷地のアイヌ風俗を描いた先駆的なアイヌ絵師としても知られている。これまで貞良をさかのぼる本格的なアイヌ絵が発見されていないことに加え,貞良のアイヌ描写の系譜を引くアイヌ風俗画が数多く流布しており,現段階では,貞良かアイヌ描写のひとつのスタイルを定着させたと考えてよいと思われる。貞良を「先駆的なアイヌ絵師」とするのは,このような見地からであるが,貞良を評価すべきは,実際にアイヌの暮らしを観察し,博物的な関心を抱きながらアイヌ風俗を描いていたということであろう。「江差・松前屏風」,「蝦夷風俗画巻」は,いずれも貞良が松前で生活していたからこ-235-

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