《水辺の柳》(28.3X77.31919年たましん文化財団蔵図版6)はこれら岩絵具作品に先行するものと見倣すことができる。本作品は油絵具でえがかれている。木枠に1940年(昭和15)の遺作展ラベルが貼付されていて,遺作展カタログによれば,本作品の制作年は大正中頃とされている。このことは先の《柳》の制作年についても同様である。これら2点の作品は,1978年(昭和53)の『岡田三郎助作品図録』(1940年の遺作展図録にもとづかれている)のなかで,制作年が1919年と明示されているものの,ともに1919年と確定する明確な記載が画面上にも見出されない以上,より正確には上記2点の制作年は,岡田が死去して約5ヶ月後に開催された遺作展図録に記載されているように,大正中頃が適当であると思われる。ただし,だからといって,たましん文化財団蔵の《水辺の柳》が,「水辺の柳」をえがいた作品系列上における位置とそこに伴う価値が変更されるわけではない。油絵具でえがかれた本作品は,背景はいくぶんうす黄色っぽく,樹葉の緑色はこまやかにえがかれていて,樹幹には暗い茶色にやや紫色が加えられている。それとともに,山と水とを分けるあざやかな黄緑色に隔てられた群青色は印象的である。こうした色づかいは先の岩絵具の作品の色数とも一致し,このことからも,本作品はまるで岡田自身が,後刻岩絵具でえがくことを想定しているかのごとき作品であると言える。もちろんここには,モチーフとしての「水辺の柳」という一貫性が見られることから,日本美術の伝統のなかに,こうした構図の起因を考えることも必要であると考えられるが,作品自体から制作のひとつのヒントを得ようとするならば,本油彩画作品において,画面右下隅に「男山ニテ」の書込みがあることから,このいくぶん装飾的な作品は,実景にもとづいていると考えられるのである。この油彩から岩彩へという作画態度は,岡田にとっては,一般的ともいえることであり,岡田の装飾画といわれる作品を考察するに際し,つねに念頭に置かるべきことがらのように思われる。しかし,この油絵具でえがかれた《水辺の柳》が,そもそもの出発点に当たる作品でありながら,しかもそれが実景から得た取材であることを思わせながら,なおも装飾的あるいは人為的な画面構成を感じさせるのは何ゆえであろうか。おそらく岡田はこうした小品にあっても,単にスケッチ的作品にとどまることをせず,つねに作品の骨格について考慮していたのではないだろうか。本作品には,木炭による下絵(11X37.4佐賀県立美術館蔵図版7)が存在し,-246-
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