版11)は岩絵具でえがかれている。画面左下に「昭和六年岡田,三,」の書込みがみ色調を指示した書込みが見られる。油彩画作品との比較からいえば,木立および右隅の家屋の位置などを含めて,下絵と完成作との間にはほとんど変更はないと言える。このことと,油彩画における地名の書入れとを考えあわせるならば,本作品が実景にもとづくものであることを強調することはできる。しかし,今回の調査で知ることができた御物《楊柳》の鉛筆による下絵(13.7X 19. 7 平塚市美術館蔵図版8)と同様に,《水辺の柳》の下絵についても,完成作品にいたる過程での確定的な構図研究の作品とみることもできるのである。ここで「水辺の柳」から離れ,今回知り得たもうひとつのことを報告したい。このことも,先に述べた「水辺の柳」の作品制作の方法と密接に結びついていると考える。まずそのひとつ,1992年度末,佐賀県立美術館蔵となった《ローマの古橋》(22X 27 油彩,以下佐賀県美本と略す図版9)と,同じ題名の《ローマの古橋》(23.5 X 32. 5 岩絵具,個人蔵,以下個人本と略す図版10)について紹介したい。これら2点において「ローマの古橋」という同じひとつの題材がえがかれていることは歴然としているが,一方は油彩であり,他方は岩絵具が使用されている。佐賀県美本はキャンバスボードに油絵具で素早い筆致でえがかれ,右下の書込みに「昭和五年ロオマニテ」とあるところから判断して,佐賀県美本は現地にてえがかれたと考えられる。これに対して,岩絵具でえがかれた個人本は,画而サイズがほぼ同じ大きさながらも,構築物としての橋が規矩を当てたかのように,形式感をもってえがかれている。橋の両端に揃えられた樹木も,こうした形式感を強調するのみである。佐賀県美本のサインに見られる昭和5年は,岡田がこの年の2月から11月までの間にフランス,バルカン諸国,イタリアなどを巡歴したときのことをあらわしていて,個人本の整えられた様式は,帰国後にえがかれたことを示していると思われる。ここにもうひとつの事例がある。《フランス風景》(27X 34.8 メナード美術館蔵図られることから,この作品がやはり前年1930年の外遊を機に制作の意図が生じたものと考えられる。ところで,本作品に関連して,これとは別に過去の画集にのみ掲載されていて,所在が不明であるが,本作品に類似した作品を指摘することができる。こ図版7《水辺の柳(下絵)〉-247-
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