鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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のもうひとつの《フランス風景》(図版12)は,1940年の遺作展図録に写真(モノクロ)掲載されていて,制作年は1901年(明治34)頃とされている。なおその後1977年(昭和52)発行の『岡田三郎助/小絲源太郎』には,制作年が1899■1900年頃とされている。また特筆すべきは本作品が,パステルでえがかれ,画面寸法が縦53センチ,横72.5センチと,岡田のパステルの風景画としては例外的な大きさであることであろう。私は,パステル画の方は図版でしか判断できないものの,これまで考えられてきたことと異なり,制作年を1930年(昭和5)と考える。なお,画面サイズについてみれば,この外遊先でえがかれた作品の多くが3号程度の大きさであり,このことからすれば《フランス風景》(パステル)は,かなりの大きさといえる作品ではあるが,パステルが使用されていることが,ある種の簡便さをこの作品に付与していると言える。さらに,左下のアルファベットのサインは珍しい書体ではあるが,昭和に入って使用されたサインに近似している。こうしたことからメナード美術館蔵の《フランス風景》は,パステルでえがかれた作品をもとに岩絵具を使用して再度えがかれ,しかし,さきほどの《ローマの古橋》とおなじように,構築物はより規矩的に,そして樹木も形式感が強められ,風景画としての様式上の組立てが試みられていると言える。岡田が風景画において様式のひとつの骨格を自覚し,風景画における典型を見いだそうとしていたことは,私がこれまで研究し発表してきたところである。これまでは様式上のとくに構図に留意し,そこに「人がいる風景」と「人がいない風景」という概念を重ね合わせることで,岡田の風景画の成立をみてきたのであったが,かれの場合はもうひとつ,そこに密接に関係する岩絵具の積極的な使用について,より注意深く考察されるべきであろう。今回の調査,研究では,岡田の岩絵具作品がえがかれた状況を知り得たと考える。しかし,それが何故岩絵具でえがかれなければならなかったかということは考察されてはいない。このことは単に風景画にとどまる問題ではなく,岡田の人物像の表現にも関わることがらであり,今後の課題としたい。-249-

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