2. Cluny しに一重もしくは二重の飾りアーチを組合せて扉口装飾とする。さらに上方に仕切りを渡して円窓を穿つ。このような最初期の扉口装飾を最も典型的に示す例としてはFargesを挙げることができるだろう。西扉口を塞ぎ,代わって南側入口を常用している場合尚,トゥルニュとマコンに関しては,細かな報告は別の機会に譲り,ここでは割愛する。周知の通り,クリュニー大修道院の主聖堂は,三度にわたって造営されたが,そのいずれの扉口装飾も現在に伝えられてはいない。我々が問題とするのは,このうち前述した第3聖堂の西扉口である。この扉口の復原の問題は,1920年代に組織的発掘を始めたKennethJ. Conantの報告(Conant,K.J., Cluny: Les eglises et la maison 年にわたって論争を巻き起こしてきた内陣柱頭の問題と同様,非常に難解で重要な要素が絡み合った研究上の課題である。1992年夏の時点で,当地では旧オシエ美術館を増築,拡大して修道院本体跡地と結合し,中世考古学博物館兼総合美術館に改変するための発掘作業が続行中であった。大扉口の構成を大小三つの扉口による三部構造とし,中央扉口のタンパンに再臨のキリストと二天使,四つの活き物,楯に12使徒,内側ヴッシュールに天使の行列,外側ヴッシュールに長老のメダイヨンを想定したConantの復原案の妥当性についてはここで詳しく述べる余裕がないので,ここでは大修道院跡とBerze-la -villeの礼拝堂を再度取材したという報告にとどめておく。今回の調査の中心地域が,パレ・ル・モニアルの南,ロワール河に沿った丘陵地帯であり,以下に挙げる聖堂を重点的に取材した。坦担,Iguerande,St.-Julien-de-Jonzy, Semur-en-Brionnais, Neuilly-en-Don 美術館)(Donzy, Blanot他)も,扉口開口部周囲に図像等を伴う装飾は殆ど見られない。du chef d'ordre, Macon, 1968.の集大成他)でその概要を知ることができるが,永3. Brionnais地域の聖堂群Bois-Ste.-Marie, Vareilles, Oye, Varenne-l'Arconce, St.-Yan, Montceaux -l'Etoile, Anzy-le-Duc, Vauban, Chateauneuf, Charlieu,旦四立―la-Monta-:1.Q!!, Marcigny, ~ (La basillque du Sacre-Coeurとイエロン-252-
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