/ ヽ\‘ ヽノ1.長講堂右脇侍(勢至)菩薩像/ /ヽヽノヽノ4.長岳寺右脇侍(勢至)菩薩像移られたのが寿永2年(1183)12月10日であり(注2)'六条の長講堂の名が初めて史料にあらわれるのが文治元年(1185)8月23日である(注3)ところから,その創建はおよそ寿永3年(元暦元年・1184)ころと推定されている(注4)。現本尊の阿弥陀三尊像が院尊作である可能性の強いことをはじめて指摘されたのは,伊東史朗氏である。『吾妻鏡』によれば,文治4年(1188)4月13日の六条殿の火災の際に長講堂も焼失したが,本尊は救出されたという(注5)。ところが『山丞記』(『定長卿記』)には,同年12月の再建供養の際に仏師院尊が仏像を据えたと記される(注6)ところから,伊東氏は,長講堂に釈迦と阿弥陀の二具の本尊があったと推定され,そのうちの一具が文治の火災で焼失し,それを院尊が新造したと解釈された。そして現2.長講堂阿弥陀如来像5.長岳寺阿弥陀如来像3.長講堂左脇侍(観音)菩薩像6.長岳寺左脇侍(観音)菩薩像/ -19 -‘ •
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