鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
260/279

(Varenne)はまもなく楯石を組合せたものとなり(Anzy, Montceaux),ヴッシュ4. Morvan地域東側の後期作例第3聖堂扉口建設以降にその強い影響下に成立したとされる後期の作例グループであさらに,地域としては4に属するが,このグループに入れるべきものとして,この地域に分布する小聖堂の扉口装飾は,11世紀末から12世紀初頭にかけての一時期に西扉口の機能に対する関心が高まりゆくなかで,タンパンを中心に据えた複合的な扉口構成が徐々に作り上げられてゆく,その発展過程を段階的に示すものとして大変興味深い。このうち第一段階に挙げられるのが,シャルリゥ大修道院ナルテックスの中央扉口(1080年頃)である。タンパンにキリストと二天使,楯に12使徒を浅浮彫で配したこの幾分控え目な構成は,直ちに他の作例に受け継がれ,ロワール河東側を北上しなから伝播してゆく。タンパンに十字架あるいは子羊を刻んだ素朴な形態ールにも植物文様以外に人物等を刻み,積極的に活用してゆく(Anzy)。さらに扉口開ロ部の持送りや側柱柱頭部分も取り込み(Perrecy),側柱柱身部にまで主要テーマを補助する副次的モティーフを刻む(Charlieu)。ここでは個々の作例について論じる余裕がないので,これらの扉口に関するデータと留意事項を表に掲げた(表参照)。とりわけAnzyの三つの扉口(うち一点はパレ・ル・モニアル,イエロン美術館へ移転)およびCharlieuの二箇所の扉口は,各々異なる時期の特徴を示す基準作例として重要である。既にArmiが指摘しているように,出身地の異なる二つの流派が当地域で共同制作を行ない,これがクリュニー第3聖堂以降の混合様式とも言うべきものの確立を促したとする見方は妥当であろう。但し筆者の考えではこれら二つの流派の資質には本質的な相違があり,両者の確執は変化に富んだ作例を生み出しながらも最終段階まで持ち越される。また,クリュニー第3聖堂以後の作例のなかにはさらに新たな流派の存在を認めることができ(Neuilly, Fleury他),これらを単なる様式の変質ではなく新たな展開と捉えて,パレ・ル・モニアル以北に残る後期の作例との関係をより厳密に検討することも必要と思われる。モルヴァン山地を取り囲むようにやや間隔をおいて点在しているのが,クリュニーる。以下にこれらの作例と行程の最後に加えた関連作例を挙げる。-253-Perrec~es ~(St. -Lazare,ロラン美術館),Saulieu,La Rochepot, Avallon, vezelay,

元のページ  ../index.html#260

このブックを見る