鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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うよりもむしろ対象の専制を抑制し,線や面という要素をいわば生のままの状態にまで還元しつめたと言えよう。対象が相互に対等に浸透し合い透過し合うというイメージの出現は,もちろんこういった造形要素のある程度の自律を前提とするものであるから,キュビスムが後の絵画の展開のために築いた基礎の重要性がここでも改めて認識される。ただし,キュビスムの画面は今ここで論じようとしている方法の原型ではあり得ても典型とは言いにくい。キュビスムの場合,多くの線が閉じることなくどこかで中断してしまい明確な境界を備えた平面を画定していないため,線と線とが交錯し合っている領域でも,独立した対象同士が浸透しあっているという視覚的な状況は生じにくい。キュビスムの線は多くの場合,ある領域を囲み込んで閉じることを拒み,線としての線にとどまっている。自律的な要素間での透明な浸透という後の絵画の流れに親近性を持つのは,むしろキュビスムと同時期かやや後に描かれたクプカ,ドローネらの作品であろう。そこでは,円盤等の明瞭な境界を備えた曲線的な形が互いに透明に浸透し合い,対等な,従って決定不能な関係を結んでいる。ただし,ここには前世紀的な象徴主義の残照が色濃く見てとれるのであって,例えばクプカにとって透明性のヴィジョンは神智学のアウラの理論と密接に関連していたことが指摘されているし,その線の流動性は幾分かアール・ヌーボーに由来していよう。その意味で,近代的な科学技術との連携を強く意識していた後の構成主義的抽象絵画とはやや方向が異なるとはしても,画面に現れる独立した平面相互間の透明な重なり合い,そこに生じる曖昧さと複雑さの感覚は確かに共通しており,神秘主義と科学主義という一見正反対の二傾向が深部において密接に融和するという時代状況の根を予感させる。又,これと同時期にはデュシャンやイタリア未来派の画家たちが,ひとつの事物の異なる時点での状態を同一画面内に重ね合わせて描くことにより,運動や速度の図解を試みる。同時並置の結果生じる複数対象間の透明な浸蝕の関係はここにも見てとれ,主義主張を越えてある,絵画の時代形式といったものを想起させて興味深い。革命期のロシアにおける絵画は,写真,デザイン,舞台装飾といった他のジャンルの陰にかくれがちだが,その後のヨーロッパの絵画の展開へのその影響は多大なものであることは言うまでもない。本論のテーマとの関連上興味深い点をいくつかあげる。学的な要素の組み合わせによる絵画や,製図用烏口を用いた素描を制作する。そこで1915年前後からロトチェンコは,コンパスと定規によるような輪郭線を持った幾何-259-

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