鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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①)享保期を境界とする江戸狩野様式の変容研究者:江戸東京博物館学芸員(中間報告)研究目的狩野探幽の創始した江戸狩野様式は,体系化された教育法と組織的統制により,粉本主義に陥り形骸化して幕末をむかえたとされている。しかし近年では辻氏の岡倉天心の狩野派評の掘り起こしなどにより,江戸狩野様式にも様々な変化があったことが認められつつある。ここではそれを粉本と写生という二つの観点から捉え,享保期における様式の変容を粉本の新たな媒体としての画譜類の出版と西欧的写生の導入から考える手法をとった。本年度着手出来たのは後者の一部であるが,この調査によって享保期の写生の実態と実制作への反映の過程をある程度具体的に跡づけたことと,宝暦期以降盛んに行われる博物図譜の先駆的な試みが狩野派の絵師によって既になされていたことを証明した。1.吉宗の政策と写生図八代将軍吉宗は実学の奨励で知られるが,その西欧文化への関心は「洋書の解禁」等の政策により閾学興隆の基礎を作った。享保2年(1717)将軍となって間もない吉宗は拝礼したオランダ商館長に「ヨンストンの動物図譜」について質問している。この書は四代将軍家綱に寛文3年(1663)オランダから献上されたもので,50年後の明和5年(1768)平賀源内が家財を売り払って入手した著名な動物図譜である。しかしこのことからも判明するように従来は吉宗の実学奨励の効果は宝暦期以降現れるとされていた。特に絵画における西欧的写生や博物図譜の制作は18世紀といっても,その後半に関心が傾き,画派でいえば丸山派,秋田薗画,南瀕派等が注目されてきた。しかしながら,18世紀初頭に位置する享保期は様々な意味の実験がなされ,試された時代といえる。例えば本所五百羅漢寺には,吉宗によって寄進されたオランダ画家ファン・ロイ乎成3年度「美術に関する調査研究の助成」畑麗-263-

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