エンの油絵が公開されていたし,象をはじめ火喰い鳥馳鳥孔雀,七面鳥インコ,九官烏などの珍獣が輸入されていた。これらの新奇なものを見えるがままに,記録することを要求されたのが狩野派の画家たちであった。既に迫真の西欧画譜を見聞している将軍の側近く仕え,実物を生けるが如く写さなければならなかったのは,御用絵師といえるだろう。2.徳川実紀の記述と狩野古信の鷹図さて,吉宗は享保2年(1717)綱吉時代から途絶えていた鷹狩りを復活させた。これは自らの趣味と泰平の世に弛緩した武芸の振興を兼ねたものであったが,吉宗の事跡のなかでも鷹狩り記事は多く「徳川実紀」は有徳院御実紀付録巻13と14の2巻を費やしてさまさ‘まなエピソードを伝えている。またこの他にも諸大名との交際や絵師たちとの交わりの媒介として鷹は,有徳院実紀にしばしば登場する。とりわけ興味深いのは,文化事跡を記した付録16の記述である。「その子栄川古信まだいとけなかりしを。名家の末なりとて。めしまつはし給ふ事かぎなし。殊にその画材をすすめ給はんとて。御みづから。養朴以来博えさせたまいし画法を懇ろに御教諭あり。放應の時もお供にめし加へられて。景勝の地にいたれば。かならず真図を作らしめらる。既に小金原御狩ありしにも陪従して。其のさまを図せしめ。のちに屏風に押されけるとぞ。ことさら鷹の図は。御教を加えられしにより。詳密にいたりしとなむ。(略)中にも鷹の木にとまれるさまは。むかしより名画にも。いまだに真を得し者まれなりしかば。常に御思惟ありてる栄川がえがきしを御筆もて貼正し給へることあまたたびあり。その御ん筆の加わりし粉本ども今も家に蔵せり。」ここには放鷹の供をして実景描写を要求されたり,鷹の絵を添削されたりする御用絵師狩野栄信の職務の実態が述べられている。これと同様のことを生の絵画であとずけるのが,東京国立博物館に現存する鷹御下絵2巻有徳院吉宗加筆鷹画草稿2巻,御鷹生地取2巻の下絵類である。この3種の下絵は,相互に関連しつつ「徳川実紀」の記述が絵の上ではどのようなものであったのか,また狩野派の絵師の行う写生が,実制作にいたるまでどのような経過をたどるのかを語っている。まず最も原始的な形態をとるのが「御鷹生地取」2巻である。「吹上御鷹部屋にて地取る」などという書込みが見られ様々な姿態の鷹が描かれる。次が「鷹御下絵」2巻でいくつかの「鷹生地取」の写生図から出発して背景に花鳥やとまり木などを加えた-264-
元のページ ../index.html#272