末のゼーネフェルダーによる石版画術の発明以降,主としてイギリス,フランスの両国において生まれた形式を踏まえた出版物である。とはいえ,両国における伝統の違いは明白であろう。イギリスにおいては,すでに「地誌版画」は手彩色アクアティントの技法により18世紀全般を通じて盛んに制作されていた。その特徴は,むしろ伝統的水彩風景画の効果を模倣したことにある。とりわけ1725年頃より,グランド・ツアーが盛んになったことはこの地誌版画の流行に拍車をかけたといえる。主題も,イギリス国内よりもむしろ,ヨーロッパ各国の風景が主であった。他方,フランスにおいては,主として新古典主義的イタリア風景を描く伝統に支配されている。しかし,統計的には,19世紀の地誌石版画の時代に入ると,この『ヴォワイヤージュ・ピトレスク』をはじめ,フランス国内の主題を扱う作例がかなりの数を占めるようになった国立西洋美術館所蔵のセットは,おそらく現在のところは我が国における『ヴォワイヤージュ・ピトレスク』の唯一の完全セット(最終巻くノルマンディー3>を欠く)であろうと思われるが,本研究に際して,筆者は写真複写などを通じて基礎的資料を収集・整理することに専念した。また,海外に所蔵される他のセット(パリ国立図書館他)及び独立した単体試刷り作品(ボナフュス・ミュラ画廊他)との比較・検討を試みた。それぞれの石版画は,全頁大の別刷りの版画を貼り付けたものと,タイポグラフィーをあらかじめ刷った頁に直接刷りあげたヴィニエット様のものの,おおよそ二種類に分けられるが,いずれの場合も,とりわけ年代の遡る巻においては技法的に様々な試行錯誤の跡が確認された。他方,主題的には,建築要素を装飾的に配したヴィオレ・ル・デュックやナントゥイユなどの作品に対して,ュエやイザベーなどのより純粋な「風景画」に近い作品に分けられる。初期の巻に多く見られたボニントンらのイギリス人画家たちは,巻を追うに従い次第に登場しなくなっていったが,彼らの作品のフランス人画家に対する強い影響は二つの点に集約される。イザベー(<ォーヴェルニュ>の巻)などに見られる,いわゆる「劇的風景画」と同様のドラマティックな表現,そして,18世紀以来のイギリス水彩画に特有のより地誌的市街図と風俗描写(<ノルマンディー>におけるポニントンなどの作品とエヴァリスト・フラゴナールやドーザの作品)である。結果として,石版画技法の進展とそこから生み出された表現様式がこうしたイギリス風の嗜好と相まって,ある意味では油彩作品にも増してフランス・ロマン主義独自の世界を生み出したと考えられる。個々の風景画家の版(Adhemar ; Twynman)。-269-
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