鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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2.長岳寺像との関係現長講堂阿弥陀三腺像を院尊作と考える理由はもうひとつある。それはほかでもなく,両脇侍像が片足踏下げの特殊な形式をとっていることに求められるのであるが,この点については改めて詳述するつもりである。長講堂阿弥陀三尊像の諸特徴の中でも最も研究者の興味を引くものは,両脇侍像の片足踏下げの姿勢であろう。三聰形式の両脇侍像でこの姿勢をとる作例は,平安後期から末期にかけての仏像彫刻の中では極めて珍しいもので,他に現存する作例としては,奈良・長岳寺の阿弥陀三尊の両脇侍像があげられるに過ぎない。そして長岳寺像の形式が天平時代の仏像,たとえば奈良・興福院阿弥陀三尊像,京都・高山寺薬師三尊像(両脇侍像は東京国立博物館と東京芸術大学に分蔵)などにその淵源を持つことは,既に周知のところである。問題は,長講堂像の作者が当時の通例に従って両脇侍像を立像,あるいは結珈鉄坐,または跳坐に作らず,なぜ当時としては異例の片足踏下げの形式に作ったのかという点である。同様の形式の長岳寺像は仁平元年(1151)に造立され,長講堂像より30年以上も先立つところから,長岳寺像,あるいはそれに類する奈良仏師の作品から影響を受けた可能性も当然考えられ得る。しかし院尊と長岳寺像との接点は求め難く,また清水興澄氏によれば,院尊は円派仏師とは共同で仕事をすることが幾度かあったが,奈良仏師とはそのような例がないといわれる(注8)。さらに長岳寺像と比較すると,長講堂像には見過ごすことのできない次のような相違点がある。なお長講堂の中尊像は,その体部が当初のものかどうか疑念があるので(注9)'比較は両脇侍像だけに限る。(1) 長岳寺像が玉眼を嵌入するのに対し,長講堂像はこれを用いない。(2) 長岳寺両脇侍像が,それぞれ首をかすかに中尊の方に傾けるのに対し,長講堂像は全く傾けない。(3) 長岳寺両脇侍像は共に左手を屈腎し,右手を膝上に置くが,長講堂像は観音が胸前で蓮台を捧持し,勢至は合掌する。(4) 長岳寺両脇侍像の腰布は,背面で拮の折返しの上に重なり,その上縁をはっきり見せるが(図7)'長講堂像では,腰布上縁は前面と同様に背面でもネ君の折り返しの下に隠れて見えない(図8)。(5) 長岳寺両脇侍像の腰布の襲は,背面から両側面へ帯状に連続し,並行する線を描--21 -

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