鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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⑥ パウル・ブリルからクロード・ロランヘ一ーイタリアにおけるフランドル風景画の受容と理想風景画の成立研究者:国立西洋美術館主任研究官幸福本研究は現在筆者によって準備されている近世北方風景画に関する研究の一部を構成するものである。その研究において,従来,曖昧なままに北方の風景画にたいして「写実的」,イタリアの風景画にたいして「理想的」,あるいは「神話的」という形容を与えてきた自然主義的風景画観は訂正されるであろう。遺憾ながら,当該年度においてパウル・ブリルについての実質的な研究をすることはできなかったが,それに代わって,クロード・ロランの初期作品についていささかの知見をうることができたのでここでまとめてみたい。通常ヨーロッパにおける風景画の歴史にはふたつの大きな流れがあったことが指摘される。ひとつは初期フランドル絵画を源流とするネーデルラントにおける風景画の流れであり,これはパティニール,ブリューゲルなどを経て,17世紀オランダの風景画に連なる。もうひとつはベリーニ,ジョルジョーネといったヴェネツィアの画家たちに始まるもので,カラッチ,ドメニキーノなどを経てクロード・ロランによって大成される。19世紀以来,程度の差はあっても風景画は自然主義という枠組において語られるのが常であった。こうした自然主義的風景画観においては17世紀オランダの写実的風景画が高く評価され,他方,ブリューゲルを例外として16世紀フランドルのいわゆる世界風景は無視されてきた。けれども,ある意味では非常に不可思議なことなのであるが,こうした自然主義的風景画観はネーデルラントの画家たちだけに適用され,イタリアの画家たちには適用されなかった。これはどのような理由によるのだろうか。イタリアの風景画には単なる様式論を越えたなにものかが属性として備わっているということなのだろうか。絵画ジャンルとしての風景画の発生とその制度化についてのゴンブリッチの著名な論文はこうした問題についてのてがかりを与えてくれるものである。ノーゲイトが伝える逸話一アルデンヌの丘陵を巡る旅行から戻った芸術愛好家がアントウェルペンに住む友人の芸術家を訪ねた際,旅行の話を聞いた芸術家が筆を取り彼の旅の印象を視覚化するという逸話一をゴンブリッチが引用するのは,ひとつのイメージとして成立する前に,風景画はある観念,より正確には修辞的伝統によって先行されていたことを示すためである。つまり,彼が旅した小高い丘や渓谷の記憶はこれに先立つ多くの輝-39-

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