鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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著述家の記述によってある共通認識を形成していたのである。仮にこれを人文主義的トポスと呼ぶことができるならば,確かにある種の風景画は人文主義的トボスを前提としていた。人文主義的伝統において風景画は上位を占めるものではなかったものの,すでにそれは一定のしかもかなり重要な場を獲得していたのである。イタリア的伝統にたつ風景画を考察するさいに自然とか写実といった問題が二義的なものとして後退してしまうのは,このようないわば人文主義的風景画観によるものと考えていいだろう。クロード・ロランの風景画はその代表格であり,彼の作品は常に文学的,歴史的主題との関わりにおいて考察されてきた。時に,クロードと北方的伝統との関連が指摘されることもあったが,それとても,細部のモティーフとか構図の類似といった次元のごく限られた範囲のことであった。こうした点で興味深いのがクロードの初期に属する幾点かの地誌的風景画である。筆者は昨年ブリューゲルのくナポリの港の景観>(ローマ,ドーリア・パンフィーリ)を議論の出発点にしてネーデルラント絵画における「地誌」と「風景」について論じたが,地誌的風景の問題は必ずしもネーデルラント絵画だけのものではあるまい(「世界地図から世界風景ヘーネーデルラント絵画における『地誌』と『風景』をめぐって」,『美の司祭と巫女』所載,中央公論美術出版)。例えば,<ジェノヴァの港の景観>(ルーヴル美術館),あるいは,<ラ・ロッシェルの攻囲>(ルーヴル美術館)などには決して人文主義的風景画観からは説明されないクロード・ロランの風景画がもつもうひとつの側面が認められるからである。貴族が自らの領地を描かせるという習慣はルネサンス以来のものであり,そういう意味においては確かに「実景」は古くからの絵画主題であり,人文主義的風景画の語彙の中に含まれるものであった。けれども,クロード・ロランが前記の作品で試みたことはプリューゲルのくナポリの港の景観>といった作品とある類縁性をもつものであり,必ずしもイタリアの伝統の中で説明できるものではない。クロード・ロランをはじめとする多くの画家の地誌的な景観描写を検討することによって,いわゆる写実的風景画と理想的風景画という図式が全く便宜的なものに過ぎないことが明らかなものになるであろう。例えば,フリードリヒ・シュレーゲルにとってロイスダールの風景画は決して写実的なものではなく,また,クロード・ロランの風景画は決して理想化されたものでもなかったのである。こうした研究を通じ,ヨーロッパ風景画のふたつの流れがどのように絡みあい,また,はたして,ふたつの流れといえるものが実際に構成されていたのかを明らかにしていきたい。-40 -

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