美術受容の一例として一—―⑦ 日本近代美術とジョン・ラスキン研究者:石橋美術館主任学芸員橋富博喜本研究は,日本近代美術における外国美術受容の様相について,イギリス美術,とくに19世紀イギリスのヴィクトリア朝時代を代表する美術批評家・社会思想家ジョン・ラスキンのわが国における紹介および引用の実態を見ながら考えようとするものである。それと同時に,これまで断片的に語られることが多かったラスキンの美術に対する姿勢を,その著作と近年次第に紹介されはじめた実作品をとおして考えようとするものであった。そこでまず本研究の第1の要点であるわが国におけるラスキンの紹介,引用の実態を,資料をとおして見ていきたい。なお本資料は筆者が実見したもののうち,明治時代末までを掲載し,原則としてラスキンの社会思想的一面の紹介は除いている(資料19の有島武郎はこれを含めた)。〔資料〕1.種海鋤夫「<論説>美術ノ奨励ヲ論ス」『大日本美術新報』第15号明治18年(1885)1月31日……勿論彼ノ有名ナ}戌監賞家ジョン,ラスキン氏ノ主張スル如ク汽船鉄道ヲ破壊シテ古代ノ風俗ヲ挽回セント計ルハ音二実行ナシ難キノミナラス美術上二在テモ更二其利益ヲ見サルナリ…本資料は,管見の及ぶかぎりわが国におけるラスキンの最も早い引用の例である。明治18年(1885)という時代は,いわゆるわが国における復古的風潮の最も盛んな時代であって,洋画が内国勧業博覧会などから排斥されていった時代であった。また明そのなかで,やや曲解はあるとはいえラスキンの考えが引用されているのは注目される。執筆者種海鋤夫については現在のところ不明であり,その他の論稿も見い出せないでいる。2.坪内雄蔵「<論説>美とは何ぞや」治9年に創設を見たエ部美術学校も明治18年の12月には実質的な廃止となっている。-41 -
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