鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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『学芸雑誌』2号,4号一6号明治19年(1886)9月〜(のちに『大日本美術新報』に転載)……夫れ然り,是を以て古今の学士輩も解釈に因み,往々美の区域を蓬かに広めて,宏壮(Sublimity),穿奇(Novelty)といふ二成分をも加へて「美」の義の説明を試みたるもあり,或は精細に「美」を討して,さながら化学士が実物を取りて仔細に其原素を調査するが如くに,所謂美の原素を討究せしもあり。仮に名称を下さむには,此等は解剖派の美学家ともいふべし。「アヂソン」「ホガアス」「バルク」「アリソン」「ラスキン」の徒,多少此学派に属す者なり。…本資料は坪内逍逢のよく知られた論説「美とは何ぞや」の一節で,明治19年に発表されている。ここで坪内はラスキンをジョゼフ・アディソン(JosephAddison)やウィリアム・ホガース(WilliamHogarth),エドムント・バーク(EdmundBurke)などと同列に並べ,ラスキンをこれらの画家,美学者とともに,その美を細かく分析する学派の一人と見倣している。ラスキンの美学者としての一面をとらえた紹介である。3.外山正一「日本絵画ノ未来」明治23年(1890)4月…ラスキン曰ク「ラフィエルノ「マドンナ」ハウルビノ山中二生レタルモノナリギルランダジョノ「マドンナ」ハフロレンス人ナリベルリニノ「マドンナ」ハブェニス人ナリ此等大名人ハ一人トシテ「マドンナ」ヲジュデヤ人トシテ画カントシタルノ企テヲ顕ハサザルナリ」又曰ク「若シ英国ノ画人ニシテ英国今日ノ貴族院ヲ基ヒトシテ歴史上ノ人物ヲ画クコトヲ知ラザル者ハ歴史ヲ画クコトハ出来ザルモノナリ十九世紀ノ英吉利娘ヲ基ヒトシテ「マドンナ」ヲ画クコトヲ知ラザル英国ノ画人ハ苛クモ「マドンナ」ヲ画カンコトハ決シテ出来ザル所ナラン此レ実二予ノ熱心二明言スル所ナリ」卜…本資料は明治23年4月27日に開催された明治美術会第二大会における外山のよく知られた講演の一部である。本講演は外山の日本絵画論を開陳したものであるが,その唱える主題の偏向によって,のちに林忠正,森鵬外などから批判をうけ,ひろく歴史画論争を引き起こす契機になったものである。本講演のなかで外山はラスキンを引用して上記のように述べ,さらに「想像物モ必ラズ真物二依ラズンバアルベカラザルナ-42 -

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