9.島崎藤村「西花餘香」を組織すべき諸多の事柄をいふ也。而して摸倣とは自然の産物に就きてこの実をのみ追求摸写するもの換言すれば形あるを知りて想あるを知らざるがラスキンのいはゆる摸倣なり。…島村抱月の美学的論文の一節である。本論文において抱月は表題の審美的意識について,(一)意識の性質,(二)審美的意識の要素のふたつについて論じている。抜き書きした文章は(二)の審美的意識の要素のなかに記されているもので,引用文のまえに「自然と芸術との関係に連り来たるは写実的と理想的との問題なるべし」の一文がある。『うらわか草』1巻明治29年(1896)5月,『一葉舟』所収若きフエイは楽人なり。…(中略)…フエイの文は明晰なるうちに深くも同情を寄せて,「未来の芸術」の張本人を評せるさまはおもしろく,転じて「ワイマル」に遊びゲエテが趣味によりて成りし「イルム」河畔の遊園に逍逢せしくだりフエイの得意思ふにあまりあり。ラスキンは山嶽を以て自然の活動となし,草野を以て其静息となせり。…小説家島崎藤村の文章の一節である。藤村はこの文章を発表した明治29年に「欧州山水画を論ず」の訳文を『東北文学』に掲載している。藤村のラスキンとの関わりについては,菊池裕子「日本のラスキン研究及び関連文献目録」(『ジョン・ラスキンとヴィクトリア朝の美術』展覧会図録1993年)に記されており,その自然美に対する考え方のなかに,ラスキンの感化があるという。10.観堂学人(岩村透)「ジョン・ラスキン(-)」『美術評論』第25号明治33年(1900)3月10日未完,『芸苑雑稿(初集)』明治39年(1906)5月所収観堂学人,岩村透によるラスキン伝である。残念ながら『美術評論』発表時において未完であり,のちに『芸苑雑稿(初集)』に掲載するに際してもこれ以上筆を進めて-45 -
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