Ruskin ガ家,墓,及ビ途二Wordsworthガ宿レリトイフLodge,同人ガ通ヘリ14.齋藤野の人「国家と詩人」15.久米桂一郎「ウヰスラー対ラスキン及び印象主義の起源」1877年におこった有名なラスキン,ホイッスラー間の名誉毀損訴訟問題に関する論文『明治文学全集43島村抱月長谷川天渓片上天弦相馬御風集』筑摩書房昭和42年(1967)11月15日所収八月廿五日Monday晴,馬車ヲ駆リテLangadalePike二行クー行十人ノ中余卜外二人トハ山腹ノDungeonGhyll ノ瀑布ヲ見テ引力ヘシ山麓ノ樹蔭二横臥シ雑誌ヲ読ム……八月廿七日Wednesday 小曇,馬車ヲ駆リ例ノー行ニテConiston二向カフ,トイフ学校等ヲ見ル,学校ニハ…島村抱月のイギリス旅行中の日記の一節である。抱月がラスキンの文章に接し,ラスキンを理解していたことは,資料8の美学的論稿のなかでラスキンを取り上げていることからも分かる。『帝国文学』第9巻第6号明治36年(1903)6月……国家国民の精神は常に『人』に存す,而して『人』は常に詩人によりて名づけらる,詩人生る、処はこれ実に光栄にして偉大なる邦土なり。英国にはラスキン出でたり,美的創作と事業を一にし芸術を以て宗教道徳経済を連ねて吾等生活々動の根本となし,以て個性に万能の権を与へて,其美的調和と発展と活動を以て,人生唯一の幸福となしぬ。……齋藤野の人の短い論稿の一節である。『明星』巳歳第2号明治38年(1905)2月1日画家そしてこの当時は美術史について発表したり教授をしていた久米桂一郎の,-47 -
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