鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
55/279

である。この名誉毀損訴訟については,のちに資料22にみるようにラスキンの美術批評に疑義をはさむかたちで見ることが多いが,この久米の論稿においてもそうした姿勢が伺える。おそらくラスキン歿後,ラスキンの美術批評が次第に読まれなくなった背景に,このラスキンとホイッスラー間の名誉毀損訴訟問題におけるラスキンに対する否定的見方が深く関連していると考えられる。16.菱田春草横山大観「絵画について」……是を以て人或は本邦の印象派色彩派に優先を占めし事実を忘れ軽々ラスキン一派の唱道に驚きターナー乃至ドラクロアを喋々し曳きてウィスラーの後塵をも拝せんとし而して此画道当然の趨勢たり本邦絵画の特色たり特に欧州人よりも逢かに優先なりし宗達光琳以来の色彩的印象派を以て却つて洋画の模擬なりとし漫然之を排斥せんとするものは最も笑ふべきの至りにして畢党するに東西美術史上の対照に疎なるの致す所と存候……菱田春草,横山大観の連名による,よく知られた論稿の一節である。先にみた久米の論稿と軌を同じにして,ラスキンに対する批判の姿勢が伺える。17.小山内薫「青泊君」『帝国文学』第12巻第7号明治39年(1906)7月1日第一高等学校の文科一年生へ入学した時,青泊君は姓の奇妙なので,先づ衆の注意を引いた。......(中略)......新学年の教室で,先づ一番盛んなのは暑中休暇中の功名談だ。……(中略)……澤田君はラスキンの水彩画を物の本で見てから,憤慨一番,木炭紙のスケッチブックと一円若干の西洋絵具を東京から故郷へ取寄せて,大に例の頑丈な手で絵筆を揮はうとした処が,着くと直ぐ弟に奪られて了ったから,又例の諦めで,木の葉一つ画かなかったと云ふ龍頭蛇尾な話をする。……小山内薫の短編の一節である。本資料で語られているラスキンの水彩画であるが,明治38年(1905),『美術新報』『絵画叢誌』『校友会月報』などに転載される-48-

元のページ  ../index.html#55

このブックを見る