鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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18.武者小路賓篤「光の子闇の子」どの作品をどのような形で見ることができたのか興味深い。しかしラスキンの水彩画,あるいは素描がそれまでまとまった形で画集になったことはなかったので,おそらくたとえば『近代画家論』などの挿図として掲載されていた作品を見たことが考えられる。『荒野』明治41年4月警醒社刊人の為に犠牲になる,甚だ美しい。されど自ら地上に,単純素質なる楽園を造り,自ら清き楽を楽め。人必ずや水の低きにつくが如く吾人の楽を楽とせん。「総ての人と楽しむ。これ神意なり」(ラスキン)。世は今や一回転せんとす。互に争ふ時は去りて,互に愛し共に楽む時は来らんとす。武者小路寅篤のエッセイの一節である。ラスキンの警句を引用しているが,このラスキンの言葉がどこから取られたものか現在のところ不明である。19.有島武郎「観想録」第12巻明治41年(1908)1月23日の条……夜社界主義研究会二臨ミRuskinノUntothis Lastノ講義ヲナス逢坂君ママ杜界主義卜基督教ノ関係ヲ語ル……本資料中唯ーラスキンの社会思想家としての側面を示す資料である。文学者の側から見たラスキンの社会思想の一面を示す資料としてここに掲載した。Untothis Last, すなわち『この最後の者まで』の最初の訳本は,大正7年(1918)に石田憲次の訳で弘文堂書房から出版されている。本資料は,すでにそれ以前,同著が社会主義者のあいだで読まれていたことを示してもいる。20.島村抱月「文芸上の自然主義」『早稲田文学』明治41年(1908)1月……(自然主義とロマンティシズムの問題に関連して,自然主義の目的について)ママ-49-

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