23.上田敏「綜合藝術」ホイッスラーの芸術に対する評価を示す文章であるが,ラスキンとホイッスラー間の名誉毀損訴訟問題について触れている。『藝文』1巻2,4, 5号明治43年(1910)5, 7, 8月前世紀はあらゆる方面に於て分析の時代であった。さて,もうそろそろ綜合の時代になりか>つて来たのではあるまいか。……(中略)……近世の諸芸術が,前述のやうな各自独立特殊の発達をして来たのであるから,今では詩人が絵画を批判し,画家が音楽を彼此いふ事が,一寸出来にく>なつて居る。然し如何なる芸術でも,創作の苦心を経験した者には,朦気ながら多少底の方で水脈が通つてゐて,同情心も出て来るが,批評家になるとさうは行かない。随分知識もあり,趣味もある大批評家でも新芸術の特色を誤解してとんでもない判断を下す事もある。有名なラスキン対ホイスラア事件の如しきが適例だ。千八百七十八年6月……(以下略,ラスキン対ホイッスラーの訴訟問題について詳しく記している)……芸術と芸術批評の問題を取り扱っている論稿の一節である。ここでもまたラスキンとホイッスラー間の名誉毀損訴訟問題について触れている。24.岩村透『ラスキン先生とアルプス山』『美術新報』第10巻第10号明治44年(1911)8月1日おそらく島村抱月とともに,明治時代においてラスキンに最も深い理解を示した岩村透の文章である。ここで岩村はラスキンの自伝『プラエテリタ』に拠りながら,ラスキンとラスキンが好んで旅行したアルプスの山々について述べている。また本論稿のなかで,ラスキンの手になる水彩画および素描を10点,挿図として使用していることも注目される。以上明治時代末年までのラスキンの紹介・引用に関する資料を挙げた。最初に記したとおり,本資料は報告者が実見しえたもののうち,原則としてラスキンの持つ社会-51-
元のページ ../index.html#58