ために同様に「素朴さ(naivete)」を重視していることであろう。ここから,二人は自然の観察を離れた,人工的な効果を誇示する傾向を似た表現で批判している(批判の共通の対象として,アカデミスム,特にその人体解剖学への依存と,美術学校での教育システムが挙げられる)。但しアングルは,師の自然の観念を著しく発展させて考えていたらしく,ある書簡の中で「様式とは自然である」と断言するに至っている。この発展が,晩年のダヴィッドに見られるアカデミックな様式と,アングル的な独自の様式化を受けた自然描写の違いとなって現れていると思われる。ジロデはアングルとは大きく資質の異なる画家であり,現に両者間の通信は残っていない。しかし,『アンティオコスとストラトニケー』デッサンが示すように,初期アングルがジロデの構図に想を得た例は既に指摘されている。筆者はこの他にも,1802年頃描かれたらしい浴女像(版画から知られる)や,主題メモ(パリ大学美術考古学図書館蔵)と複数の素描の遺る「ヴェヌスの誕生」構想等,ジロデの女性像を中心とする主題画はアングルの同様の主題作品と図像的関連があると考える。この他ジロデからは,文学的テクストの視覚化に関して学ぶものがあった。特に,彼が1800年前後に制作したラシーヌ,ヴェルギリウスといった文学作品挿絵は,その画面構成の上で,一方でダヴィッド的な性格を残しつつ,人物数の制限や効果の内面化といった点でアングルに示唆を与えたように思われる。実際,その挿絵の1点とアングルの作品『ラファエロの婚約』はほぼ同じ構成を示している。アングルのラファエロ主題画や,さらには『パオロとフランチェスカ』,『アンジェリクを解放するロジェ』といった作品がもたらす効果がダヴィッド的な演劇性から遠く,むしろジロデの主題画(例えば『アタラの埋葬』など)に近いものがあるのも,この点から理解できるのではないか。また,二人はダヴィッドヘの批判的な言及,旧来の藝術からの旺盛な独立心の表明において共通するものを持っている。ジェラールとその周囲の画家たち(バルビエ,コンスタンタン)の書簡は,彼らの進歩的な態度が,アングルの才能を最初に認めた事を示している。特にジェラールの友人の一人は,画家宛の書簡でファン・アイクを称賛しており,この巨匠の名と結びつけられつつアングルが批判されていたことを考えると興味深い。実際の作品,特に肖像画において,ジェラールは階段や弯窪,窓とその彼方の風景,室内の鏡によって空間を多様化する手法においてアングルに先んじている。『イザベイ』における複雑な屋内空間,『バルビエ=ヴァルボンヌ夫人』,『バッサーノ公夫人』にお-56 -
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