鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
67/279

以上常陸時代を前期と後期に分けて概観したが,このような分類をする限り,永正元年生れとする福井説も無視できない。雪村が常陸をすでに去ったと思われる天文15年は43歳にあたり,上記作品群の展開には,ほどよい長さの期間ではなかろうか。く小田原・鎌倉時代の作品>まず第1の基準作品となる天文19年(1550)の以天宗清像の印象は,f「雪村」(朱文壷印),g「周継」(朱文方印),e-2「雪村」(白文方印)の組み合わせになる。この内e-2は,常陸時代のe-1と同形の印だがやや異なり,比較的e-2は端正な彫り口になっている。新たな出発を記念して改刻したのかもしれない。この三つの印を捺す例は割と多く,他には山水図屏風(会津金剛寺),琴高群仙図ー3幅ー,列子御風図,灌湘八景図襖絵ー6幅ー,灌湘八景図巻,波岸図ー2幅ー,白競図,また早雲寺第二世の大室宗碩賛の山水図などがある。会津金剛寺本が当初からの伝来なら,この印章の組み合わせは,すでに短期間の滞在だが,会津時代から始まった可能性もあるだろう。これらの作品の特色は,一見して何れも大作・カ作など優品が多いことである。従って小田原・鎌倉時代は,雪村の頂点になる時期としてよいだろう。そしてこの時期の下限は,「玉澗小軸」の進上相手が芦名盛氏とするなら,永禄6年(1563)以前であろうか。この時期に大作・カ作が集中するのは,鎌倉周辺における寺院との連がり,とくに北条氏政が雪村の帰依僧になったように,強力な北条氏の庇護があったからに違いない。この時期の第2の基準作,天文24年(1555)の景初周随賛の夙々鳥図はf印のみだが,このような単独使用例,及至は二つの印の組合わせの例もある。同じく景初周随賛の蕪図(e-2),波に夙々鳥図ー2幅ー,竜虎図屏風(クリーブランド美術館),官女図ー2幅ー,白衣観音図(以上f.gの組み合わせ)などである。この三つの印を使用するグループは独立しており,他の印章はここに交わらない。おそらく小田原・鎌倉時代に限定されて使用されたのであろう。ただ常陸の鹿島社に奉納された百馬図には,f印とともにh「雪」(白文楕円印),i「周継」(白文方印)が捺される。鎌倉から会津へ再び戻る途次で奉納されたのだろうが,これは文字通り,鎌倉から会津へとまたがって使用されたことを示唆している。h「雪」(白文楕円印),i「周継」(白文方印),j「雪村」(朱文鼎印)三つの印の組み合わせ,また単独印の使用例は,現存する雪村作品のほぼ三分の一を占めていると思われる。代表例としては,鷹山水図屏風(h• i • j),呂洞賓図(h• i),花-60-

元のページ  ../index.html#67

このブックを見る