鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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見たい。P印の長頸が無くなると1印の主要部分とぴったり重なるが,やはり基本形が違うのと同じと思われる。ただし0印の使用例は少ない。蝦募鉄拐図(「鶴船」の款記を用い,h • n • o),茄子笹に蟹図,芙蓉に臥々鳥図(ともにn• o)など限られている。このような印章分類に従えば,金山寺屏風(h• l)も会津に入ってからの作と推定できる。一見楷体風の山水図で若そうであるが,実はこの二つの印の組み合わせは「鶴船」の款記をもつ猿狼図ー2幅ーと同じになる。茄子笹に蟹図で,初期の中国院体花鳥画を再び描いたように,金山寺屏風では,院体山水画への回帰を果たしているともいえよう。しかしこれらの作品の編年作業は,もとより完全ではない。福井説でも,赤沢説の生年でも,雪村の年齢と作品相互の間の関係に矛盾が露呈する部分もあるからである。今国の調査では百点以上の作品を実見できたが,これを基に,より整合性のある論を展開する必要もあるだろう。-62-

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