鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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山水画にその先例が求められよう,例えば,唐代絵画にその典拠を持ち,その数度の転写であると考えられる日本・平安時代の東寺旧蔵「山水屏風」は多くの小動物モティーフと柳・桜といった花木がゆったりと描かれているが,画面四分の三ぐらいの高さで右から中央へと延びる霞を境にして木々一本一本で表す近距離景から樹叢として把握する中距離景へと(全体として近視化しているが)変化している。しかし,うっすらと白色に彩られた「秋塘図」の雲霞はそうした役割のみならず,中距離景の樹叢が一つのまとまりとして認識されるのを助けると共にそれを蔵すことで奥行感をより増大させる効果をも担っている。即ち,「秋塘図」は雲煙を挟んで近距離景から中距離景への間の微妙な変化を素材を選択しながら画面に定着させようというものであり,繊細さを表現するに似付かわしい「小画面」を舞台に,積み上げていく古様な構図も採らず汽最も端的に視像が変化するー局面を切り取ってきた,樹木と樹叢の間の「見え」の変化を描いている。これに対して,江南山水画を再評価した米苦の子である米友仁(1074■1151)の「雲山図巻」(1130年・クリーヴランド美術館蔵)は変化の相を描きつつ遠近表現とマチェールの効果を同時に追求しようとしている(2)。画面ほぼ中央,雲煙の前から小島における叢林では緑青によるドットが葉叢に当たり,それを重ねることによって一本の樹木の脹らみを示しているが,雲煙の向こうの山容に打たれたドットは,その重なりによって樹木群のあやをなし,さらに,単に色の明度のみによって把握された遠山が山並みから顔を出す。画面としては濃度や表情などを変化させつつも,ドットという限定された同質の描法によることでマチェールの効果を看取させており,その一方で,樹叢の表情と雲煙の存在によって示される奥行の深さは距離感を増大させる現実の雲煙の視覚的効果を意識させ,さらに地平線を画面のほぼ二分の一の高さに設定して,最遠景を放棄せずに描き,遠近表現を実現している。趙令穣画をめぐる「用五色」「墨雁」など素材を示す言語は近・中距離景の把握とそれぞれ結びつき,「江南の趣がある」(『画史』・王庭珪『慮淫先生文集』巻四八など)という賞賛と「卑近な景観を描いたに過ぎない」(『宣和画譜』巻二0・『画継』巻二など)という指摘はー見矛盾しているように見えるが,「江南」的であることがモティーフのレベルにおいてのみではなく景観・対象の把握をも意味し,そのために敢えて奥行・モティーフを限定しているものと理解されよう。他の伝称作品を見れば,「沙汀煙桂寸図」は全体が江を挟んで着色と水墨の対比をより明白に見せており,「湖荘清夏図巻J-65-

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