⑪)巻胎漆器の研究研究者:宮内庁正倉院事務所保存課整理室長木村法光はじめに「巻胎」という言葉については,ほぼ10年はど以前から使用され始めた。これは,古代の漆工品の素地に,従来から知られているような木製素地の指物,挽物,剖物,曲物以外に材質は不明ながら,これらとは違った技法の勝れた漆器素地のあることが確認され,これを最もうまく表現し,またその態を表わすのに最もふさわしい用語をと考え,先輩・同僚の賛同を得て便宜的に名付けたものであった。それは1耗前後の厚みをもつ薄板を幾重にも巻き,それを少しずつ上下にずらせて任意の形に成形して固定し,漆塗りの胎としたものであり,これらは従来から知られている曲物に類するが,いわゆる曲物とは完全に区別されるべきものであるという意味で,この様な器物を「巻胎技法によるもの」と呼び,この様な構造をもつ胎のことを「巻胎」と呼ぶことにした。しかし,それらははたして何処で,誰に依って,どのように工作されたのか,そして現代の何処かにその伝統があるのか,あるいはないのかなど正確に具体的に示す資料は現段階ではなに一つ把握されていないのが実情である。弘前の工業試験場で昭和31年,開発されたブナコ細工もこの観点からみれば正に「巻胎技法による」ものと言えようが,これは全く独創的な発想のもとに開発されたものであるので,ここではふれないことにする。そこで,まず手始めとして古代におけるこのような素地構造をなす器物の発祥地は何処か,またいま何処にどれほどあるのか,そして具体的にこれらはどの様に工作されているのかなど,そのルーツと素地構造の解明を試みようとするものである。二.発見の経緯正倉院事務所では昭和40年代に行ったX線透過写真撮影とその観察結果から,銀平脱合子(挿図1)ほか円形の蓋もの(合子,箱もの)9点と,やや構造の異なる漆胡瓶(挿図2)1点が同様の技法によるものであることを発見し,同時期に行われていた漆工品の特別調査結果とともに昭和50年に発表した〔注1〕。その後の調査でも更に1点あることが確認でき,更にこの様な調査を進めるならばさらなる発見も期待できると思う。_ 67 -
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