⑫ 中国所在の明代中期狂草書法の調査研究研究者:京都大学文学部助手下野健児1992年8月から9月にかけて,私は北京,南京,蘇州,上海等の博物館を訪問し,明代の狂草書法作品の調査研究を行った。以下の論考は,この調査研究によって得られた成果の一端を示すものである。唐代の張旭・壊素に始まる狂草書法は,当時の書法への反発と捉えられよう。酔い,大声で叫び,髪に墨をつけ書くという奇行と共に,大胆な文字造形,律動感あふれる墨線の連続表現は,人々の目にはまさに「狂」,「顛」と映っただろう。しかし,社甫の詩にうたわれる程もてはやされたこの狂草も,唐には張旭.懐素・高閑,宋元には黄庭堅など数人をあげうるのみであり,伝承作品も多くはない。ところが明に入ると,文献上,張旭・懐素の流れに位置付けられる作家の記録が数多く現れ,作品も少なからず現存する。私は「祝允明の狂草書法について」(京都大学美学研究室紀要第13号)において,明の祝允明の狂草(図1)を取り上げ,狂草書法の展開におけるその革新性を論じた。これを踏まえつつ,より広い視野から考察を深めたい。先学の指摘の通り,明人が行草書をよくした理由に,「帖学の流行」が挙げられる。宋以降法帖の模刻刊行は継続され,行草,小楷が学書の中心となり,多くの行草作品が制作された。ここでの行草書とは,王義之,献之,唐宋諸家の作品を中心とするが,少なからず狂草作品が含まれていた。明前期には,三宋二沈(宋瑳,宋克,宋廣,沈度,沈菜)や陳壁,解絹ら明初を代表する文人,書法家の名が見え,ここにおいて狂草が伝統書法に伍して,書道史の表舞台に上がっていたことが理解できる。中期には張弼,張駿,祝允明らが,後期には,莫雲卿,馬ー龍,徐渭,麿景鳳などが挙げられ,以降明末清初へ連なる。彼らに与えられた諸評をあげよう。〔宋瑳〕「草書は天頴の中原を一日に千里行くが如し」,「旭素に出入す」。〔宋廣〕「草書は張旭,懐素を宗とす」。〔張弼〕「草書にエにして,怪偉践宕,一世を震撼す」,「世以て顛張の復出づると為す」。(祝允明〕「晩に益々奇縦,国朝第一と為す」,「懐素の狂草の若きは尤も筆妙に蓑る」。〔莫雲卿〕「行草は豪逸にして態あり」。〔馬ー龍〕「自ら謂う,懐素以後一人なりと」,「素師の聖母文を法と-74-
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