し,頗る筆法を得」。〔徐渭〕「行草に精偉にして奇傑」。〔麿景鳳〕「狂草は神助有るが若し。変化百出するも古法を失わず」。これらの評語には,狂草の創始者である「張旭,懐素を師とする」こと,「怪,奇,逸,狂」といった張旭,懐素の狂草を評する常套句が用いられている。これらを見る限り,明の狂草は基本的に張旭,懐素の狂草を受け継ぎながら展開してきた印象を受ける。が,初期の宋廣の狂草と中期の祝允明の狂草を,特にその紙面構成を比較すると,共に張旭・懐素風という一言では片付けられない感覚の差異が認められる。ここで先の論考の要旨をたどっておこう。張旭・懐素(図2)の狂草書法は,「王義之の型」と捉えられる形式化した伝統書法に対する反発と考えられる。「王義之の型」とは草書に関しては,本来速写体であったものが,唐のフィルターを通ることで「十七帖」(図3)のように整理されたものをいう。文字の形態紙面構成は,公式書体の楷書の均整な構成に近づき,学書の手本として拘束力を持つようになる。例えて言えば,予め紙面に原稿用紙の桝目が想定され,そこに一定の型の文字をレンガを積むように規則的に埋めていくといった構成法をとるものである。これに対して,張旭・懐素の狂草書法は,書を一つの運動と捉え,連続する墨線の律動する表現により「王義之の型」の拘束を打ち破ろうとしたものであった。しかし紙面構成からみれば,文字の大小の変化はあるが,依然としてレンガ型の構成から逸脱するものではない。これに対して,祝允明の狂草(図1)は,桝目のない紙面に,形も大きさも様々な石を積んで石垣をつくる作業に例えられる。文字は上下左右で重なり,結びつきを強め,文字や行を複雑に絡みあった一つの有機体として捉える。文字の形態は,筆の動きにつれ,先行する文字の形態に応じて,余白の空間(地)を埋め,相互の有機的なつながりを壊さないよう配置構成されるのである。さてこうした観点から,まず明初期から中期に至る狂草書法の展開を辿ってみたい。初期の宋廣の「李太白酒歌」(図4)は,基本的に懐素の狂草と変わらない。連続する墨線の律動感あふれる表現は「草書は張旭懐素を宗とす」との評を裏付け,懐素「自叙帖」(図2)を髪梶させる。紙面構成も文字を積み重ねた行を規則的に横に並べたレンガ型構成から逸脱するものではない。同時代の宋瑳,解番らの狂草書法もほぼ同様である。中期の張弼「元宵有懐南安旧治詩」(図5)では,連綿線が減っているが,文字の大小変化を巧みに取り入れ,紙面に変化を与えている。だが,行間が密になって-75 -
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