いるものの.文字,行相互の有機的な結びつきは弱く,依然レンガ型構成に属す。張駿の「杜甫貧交行」(図6)に至り,行に文字相互の重なりあい,自然なうねりが見られ,宋の黄庭堅の狂草(図7)の影響,石垣型への接近が認められる。私はかつて狂草書法の展開を,紙面構成に限定して模式図AからDへの展開(図8)と捉えた。Bの懐素は,墨線の律動感,文字の大小変化という新手法を持ち込むことでAの「王義之の型」からの逸脱を目指した。だがその紙面構成は文字を整然と積み重ねる「レンガ型」の枠内にある。Cの黄庭堅は,これを打ち破る手法として,文字の形態変化,相互の重なり,行のうねり等を採用したが,行相互の関係では未だ伝統の制約を打ち破っていない。Dの祝允明では,この制約さえもが乗り越えられ,個々の文字が行相互においても有機的なつながりを持つように配置構成される。とはいえ図7黄庭堅李白憶旧遊詩巻(部分)喬遠『名山蔵』),「懐素の狂草の若きは尤も筆妙図8模式図狂草の流れをこのように一本の展開と捉えることれであり,Cの流れが認められるのはようやく張駿に至ってからのことである。こうした流れの中である。はできない。宋琢,宋廣,解緒,張弼らの狂草作品が示すように,明初中期でもその中心はBの流でDの祝允明の狂草は相当に特殊なものであったろう。祝允明以降,狂草に二つの様相が現れたの祝允明の狂草の紙面構成感覚が当時非常に流行したことは,それへの賛否両論に現れている。高い評価には,「晩に益々奇縦,国朝第一と為す」(何-77 -
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