に珠る」(顧燐,「国宝新編』),「晩節は変化出入し,端悦すべからず。風骨爛漫として天真縦逸す」(王世貞,『藝苑庖言』),「狂草は本朝第一たり」(朱謀亜,『続書史会要』)などがある。批判として,項穆の『書法雅言』に「晩に怪俗に帰し,競いて悪態を為し,諸凡夫を駿かす」とあるが,その言葉に逆に当時の祝允明の狂草の流行ぶりが認められるであろう。何良俊の『四友斎叢説』では,文徴明を義之の正脈とし,祝允明を正脈にあらずとしながらも,「世但だ其の応酬の草書大幅を見,遂に以て枝山を衡山の上に在りと為す」という。当時の祝允明の草書に対する評価が,文徴明に比べてさえ高かったことがわかる。また『藝苑厄言』には,「まま拘局にして未だ化せきるもの有り,また一種の行草に俗筆ありて,人の謡り寓すところとなる。真を乱すことを頗る厭うべき耳」とあり,当時偽物がでるほど彼の狂草の流行していたことを物語る。祝允明の狂草は,王義之の伝統書法から見て驚異的であっただけではなく,既に新しい伝統として受け入れられつつあった張旭・懐素風の狂草書法から見ても,目新しい表現だったのである。ただ,その特色が正しく理解され受継がれたかには問題がある。その紙面構成の特色は,個々の文字が上下左右の文字と有機的な関連を持つことにある。つまり,紙面全体のまとまりの上で,文字はそのあるべき場所にあるべき形態をもって配置される。従って,一つの文字を全体の連関の中から取り出し,他へあてはめることは,全体の微妙なバランスを崩すことを意味する。他方,張旭・懐素風の狂草では,そのレンガ型構成を形づくるある煉瓦を異った位置に置き換えても,構成上大きな破綻は生じない。つまり,レンガ型の狂草は模倣し易いが,石垣型の狂草は,その構成原理の本質を理解しなければ,その模倣は構成の破綻をまねくはかないのである。祝允明の狂草は,一歩誤れば俗筆となるという微妙なバランスの上に成り立っていた。従って,流行はしたものの,その多くは様々な形態の文字を紙面に無秩序に並べたエピゴーネンであった。先の『藝苑厄言』に見える当時の偽物の多くはこのような作品であっただろう。それらが逆に,祝允明の狂草の本質を曇らせるものともなったのである。次に明中期後期の様相を概観しよう。一つの流れは,初期以来の張旭.懐素風レンガ型狂草である。全体ではやはりこれが主流である。ここには,行は独立するものの,文字の形態が多様に変化し,上下の文字の有機的結合が認められる宋の黄庭堅風のものも含まれる。縦への流れを強調した明末清初の長条幅の狂草作品(図9)もこれにあたるであろう。もう一つの流れ,祝允明の狂草書法は多くのエピゴーネンを生みは-78-
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