⑬ ドイツの木彫祭壇における絵画と彫刻の関係及びその推移(低部ライン地方の作例に見る一ヴァリエーション)研究者:京都外国語大学助教授岡部由紀子はじめに北上するライン川がオランダとの国境を越える,その直前に位置する町がクレーヴェである。ライン川はクレーヴェの町よりわずか北寄りのところを流れている。クレーヴェからライン川を逆上りつつ少し進むと,カルカール,サンテンと,中世末期に全盛期をむかえた古い町が続く。これらの町を含む地方全体は低部ライン地方と呼ばれ,オランダ(ここで取り上げる時代背景を考えればネーデルラントと呼ぶ方がふさわしいだろう)とドイツの国境近くに位置するために,古くからネーデルラントとドイツとのそれぞれの文化の交流地帯となっている。そのことは木彫を軸とする後期ゴシックの翼式祭壇の事例にもまた当てはまる。少くとも十五世紀後半以降の時期においては,ネーデルラントのプロト・タイプとドイツのプロト・タイプは既に出来上がっており,我々は両者を互いに区別する明確な造形上の特徴,及びそれにともなう異なった神学的意味付けや宗教的機能を見出すことができる。低部ライン地方の翼式祭壇には一見して,いわゆるネーデルラント風が顕著であり,それもドイツ式プロト・タイプの核をなす南ドイツの翼式祭壇と比べてみると,明らかに異質である。とは言え他方,ネーデルラント式プロト・タイプとも異なるいくつかの点を見出すことも出来る。すなわちこの地の翼式祭壇は,幾重にも重なり合ったドイツ式とネーデルラント式の,まれに見る混合形式を示しているのである。カルカールのく七つの悲しみの祭壇>低部ライン地方に点在する三つの古都のうち,ちょうど真中に位置するカルカールは,後期ゴシックの時期に全盛期をむかえるが,その繁栄を象徴するかのように,町の中心に立つ聖ニコライ教会には数多くの翼式木彫祭壇があり,十五世紀末から十六世紀前半にかけての低部ライン地方の,この種の作例の宝庫と言っても過言ではないだろう。代表的なものを挙げただけでも,<聖ゲオルゲ祭壇>(1480年頃),く主祭壇>年),<聖三位一体の祭壇>(1535-1540年)等を数えることができ,いずれも木彫技術の見事さを伝える優品ばかりである。その中でネーデルラントとドイツとの接点と(1500年完成),<マリア祭壇>(1506-1508年),<七つの悲しみの祭壇>(1518-1522-80 -
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