鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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いう観点から,<七つの悲しみの祭壇>を取り上げて詳しく論じることにする。<七つの悲しみの祭壇>は,クレーヴェ,カルカール,サンテンで目覚ましい活躍をした彫刻家ヘンリック・ドゥーベルマン(HenrikDouverman)の手になる作例である。ドゥーベルマンは1515年カルカールに姿を現し,1517年には市民権を得ている。もっともカルカールに来る以前クレーヴェに住み,司教座教会のマリア祭壇を完成したと伝えられる他,彼の修業時代については何もわかっていない。またカルカールのく七つの悲しみの祭壇>を仕上げた後,ドゥーベルマンはサンテンの聖ヴィクトール教会のマリア祭壇の制作にもかかわっている。しかしクレーヴェのマリア祭壇に関しては,ドゥーベルマンの制作であることを否定する見解もあり,サンテンのマリア祭壇においても,彼が直接手がけた部分はプレデ)レラ等きわめて限られている。これに対してカルカールの祭壇では,ドゥーベルマンの特徴が純粋な形で非常によく表れている。祭壇の構成は(図1)次のようになっている。中央が突き出て,しかも先端の尖った曲線的なアウトラインを持つ厨子の中は,八つのパートに分けられていて,中央下段にピエタがおかれ,それを取り巻く七つの場面がマリアの七つの悲しみを示している。つまり右最下段の「奉献」から始まり,左へ回って「エジプト避難」「十ニオのキリスト」「キリストの十字架運び」と続き,中央に「傑刑」,右下へ向かって「十字架降下」「埋葬」で終る。プレデルラでは複雑に意匠化された唐草模様の中に,「エッサイの樹」のモチーフが刻みこまれ,繊細かつ勢いのある第一級の木彫技術を誇示している。ここには中央にエッサイ,左右にダヴィデとソロモンが配されているが,エッサイの樹はプレデルラに留まらず,さらに厨子を取り巻いて上昇し,ついに厨子の上のマリア像にまでつながっている。厨子の流動的な上昇感の強い形態を利用して,プレデルラからゲシュプレンゲまで見事に一貰した図像内容を表現している。なお翼部分は,七つの悲しみの各場面をもう一度くり返して描いており,1636年に完成したものである。さてそれではく七つの悲しみの祭壇>におけるネーデルラント的特色とは一体何であるのか。その点から明らかにしていきたい。ネーデルラントの祭壇の最も一般的な厨子の形は,中央の高く突き出た形,つまり逆T型である(図2)。く七つの悲しみの祭壇>の場合には,厨子のプロポーションか縦長で,しかも上部のアウトラインが曲線になっているので目立たないけれど,これ(a) 逆T型の厨子-81-

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