鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
92/279

ドイツ式祭壇とく七つの悲しみの祭壇>それではく七つの悲しみの祭壇>は,単なる国境地帯に見られるネーデルラント式祭壇の模倣例にすぎないのだろうか。先にこの祭壇の基本構造において述べたように,<七つの悲しみの祭壇>は厨子上部にゲシュプレンゲを持っている。同じカルカールにある他の祭壇には(図5,11),ゲシュプレンゲは見出されない。ネーデルラントの祭壇一般に関してはゲシュプレンゲを付けないのが原則であるから,これは著しいドイツ的特色と言って良い。その点でクレーヴェのマリア祭壇も(図10),異論にもかかわらず,ドゥーベルマンとの関係において考え直される必要があるだろう。ドイツ式祭壇でゲシュプレンゲが重要なのは,造形上の必然性よりもまず,神学的メッセージを伝えるに際して必要不可欠の役割を果たしているからである。そこではプレデルラと厨子とゲシュプレンゲが,いわば三位一体となって互いに補い合いながら,ある神学的内容を総合的に語るという構造になっている。たとえばブラウボイレンの祭壇(図3)でも,マリア祭壇の主として厨子に君臨する聖母子は,同時にプレデルラのキリスト(+二使徒の中の),及びゲシュプレンゲのキリスト(贖い主としてのキリスト)と密接に結び付けられて,聖母とその手の中の幼子と,救世主としてのキリストとの関係が示される。このようにドイツの祭壇では厨子と翼との関係だけでなく,厨子を中心とする縦方向の一貰した意味作用が常に存在するのである。<七つの悲しみの祭壇>では,プレデ)レラのエッサイの樹は,エッサイの子孫であるキリストの受難を包みこむように厨子の周囲をめぐり,キリストの母であるマリアを頂点にいただく。祭壇の縦軸に沿ったこのような語り口は,決してネーデルラントには見られないもので,ある種のダイナミズムを秘めている。最後にピエタ像について付言しておかなければならない。ここには初め「古いピエ夕像」が置かれていたというが,今は何度かの変遷の後に二十世紀の新しい像が置かれている。古いピエタ像はおそらく十五世紀初頭あたりの像と思われ,十六世紀初頭のドイツである程度の流行をみた現象,つまり新しく作られる祭壇の中央に百年ばかり以前の「権威」ある聖像をまつるという事例と関係付けて考えられなければならないだろう。この現象はいわば典型的なドイツ式翼式祭壇の精神が,変質しつつあることの証拠として解釈されるが,<七つの悲しみの祭壇>の場合,1522年という制作年からしても,ドイツ式翼式祭壇の最後の発展段階に組み入れられてしかるべきであろう。ぬし-85 -

元のページ  ../index.html#92

このブックを見る