鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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灰釉陶などの造形を継承したものだけではなく,さらに造形的に発展したものを認めることができる。古越磁の中でも際立って特異な造形である神亭壷は,用途を考慮した名称として穀倉とよばれたり,あるいは魂瓶と呼ばれたりしてきている。また,器形から堆塑罐ともよばれる。名称は一定しないが,ここでは神亭壷と呼ぶことにする。この神亭壷は五連罐あるいは五管瓶から発展した形式をもっている。後漢時代の五連罐は五つ壷を積み上げただけのものであるが,それに人物の形が表現されるようになる。やがて盤ロ壷を基本にし,小さな壷を四方に貼りつけ,周囲に小鳥や犬・人物などを貼りつけたものとなる。神亭壷には楼閣や楼門のような建築物があり,それに群がる多数の小鳥,楽器を奏でる人物や犬,亀,猪,蛇などが貼り付けられていることがおおい。小さな壷が四つ取り付けられているのは五連罐の名残であろう。門のまえの犬は死者の魂を冥界へと連れて行く役割を持ち,また魂が鳥の形をとるという伝承もあり,神亭壷は死者を冥界へ送る媒介と考えられる。また一方,神亭壷の上部の楼閣などに群がる小鳥はそれが穀倉の証であるとも考えられる。何層にもわたる楼閣建築のある神亭壷もある。神亭壷と呼ばれる形式の壷で記年銘のある最古のものは永安三年(A.D.260)のものが知られている。神亭壷は三国末から西晋時代つまり,3世紀後半から4世紀にかけてが最盛期と考えられる。四つの小型壷が周囲に貼り付けられているものが多数であるが,中には壷の代わりに寄棟型の屋根が取り付けられたものもある。壷の胴部には仏像や瑞獣などが貼りめぐらされ,過度とも思われる賑やかな装飾がなされているものもある。仏像表現について言えば,初期の神亭壷には見られず呉・鳳凰2年(273)の神亭壷の胴部に貼りつけられたものが,現在知られている一番古い例である。神亭壷には神仙や瑞獣や鋪首と共に仏像が表現されることが多く,その表現は次第に精緻なものとなり,光背や白竜のある精密な仏像すらおかれているものもある。つまり神仙思想などの道教的なものから,仏教的な思想へと移り変わって行く時代背景を読み取ることができる。また道教がさかんな時代でありながら,仏像表現が見られるのは仏教思想が民間信仰レベルにまで広がってきたことを示しているのだろうか。楼閣の前に置かれた亀鉄に銘のあるものもあり,例えば「会稽出始寧用此喪葬宜子孫作吏高遷衆無極」と刻されている。この銘からすれば神亭壷は葬儀に際して,子孫繁栄を祈願したものであることがわかる。五連罐を祖形とする初期の神亭壷では依然として穀倉としての役割がになわされていたようである。つまり現実世界の豊饒を祝-88 -

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