ふじわらさだもと⑮ 藤原貞幹『集古図』の研究研究者:京都市立芸術大学芸術資料館学芸員松尾芳樹18世紀後期から19世紀前期にかけての半世紀は歴史を中心とした学芸諸学に驚くほど多彩な収穫をみせる時期である。そして当時の京都にあって歴史学・考証学の分野に学識の高さを知られた人物に藤原貞幹(1732■1797)がいた。彼は木村兼渡堂,裏松固禅,木内石亭といった畿内の学芸諸家と交流し,『好古日録』『好古小録』,『銭譜』『古瓦譜』等を著して見識を示した町人学者であった。貞幹か近世文化史の中で果たした役割を考える時,その業績について今日必ずしも正当な評価を得ているとは言い難い。貞幹の学問には思想という骨格に実証という筋肉を与えたような印象があるが,彼を一人の思想家として捉らえその学問と思想を探るためには,未だ著作研究を初めとする基礎的な作業を積み重ねることが必要な段階である。貞幹の学問の根底には実物資料に碁づく実証的態度があったために,彼の制作した集成図は,その思想を研究するためにも重要である。流布本25巻で構成される『集古図』は,多くの歴史遺物を収集し,材質または用途によって分類の上,その形態を示すことを目的としたもので,『古印譜』(明和2年)『銭譜』(明和4年)『古瓦譜』(安永5年)といった既述の著作と同じく分野別に編述された集成図をさらに集合させた形式を採る。その真価は文献以外の歴史資料を分類・衆合させ体系化を試みた点にあり,伝世品のみならず発掘による考古資料をも取り込む広い視野を示している。同時代に編集された集成図としては松平定信(1758■1829)による『集古十種』があるが,本書はこれに比肩すべき内容を持つと考えてよい。実証的態度を一貰して持ち続けた彼の学問の基盤である歴史資料の集成図『集古図』を研究することは,収録された資料の価値のみならず,貞幹研究にとっても重要な示唆を与えてくれるはずである。本書の編集時期については,従来寛政元年(1789)頃開始したことになっているが,正確にいえば年来蓄蔵してきた資料を寛政4年(1792)から編集し始めたものらしい。貞幹が同年8月28日に立原翠軒に宛てた書翰によって,この時期集成資料の整理が開始したことが窺えるからである。そしてこの整理作業は病没する寛政9年(1797)まで続けられ,改編を繰り返したものらしく,京都市立芸術大学に所蔵される写本には-91-
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