鹿島美術研究 年報第10号別冊(1993)
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明和5年(1768)から寛政9年までの年紀が散見する。現存する本書写本は,形態の上で巻子本と冊子本に分けることができる。貞幹の没後,その友人であった京都竹芭楼の佐々木春行が譲り受けた貞幹旧蔵書の目録『無佛齋遺傭書領目六」には,貞幹が所蔵していた本書の概要が示されている。「集古圏井附録〇印之外未校也先生著述廿七巻0第一天文〇第二地理已以上二巻合巻〇第三度量0第四上鈴印〇第四下銭幣脱〇第五上服飾上〇第五下同下〇第六銅器〇第七上錦綾染采〇第七下褥席0第八典輩0第九刀剣〇第十上矛上〇第十下同下〇第十一玉器〇第十二石器0第十三瓦器0第十四磁器井附録〇第十五食器〇第十六木器〇第十七鐵器0第十八文房具〇第十九粉本未脱稿第廿動物第廿一碑銘〇第廿二葬具附録0宮殿扁額〇諸門扁額〇扁額附録」この目録では,「巻」と呼ぶのは巻子装のものに限られているから,脱落している「第四巻下」を除く22巻附録3巻の巻子本が大略校訂を終えた『集古図』であったと考えられる。そして,現存諸本の中から巻子本25巻という形式に近いものを閲覧した結果,これら写本が実はひとつとして同じものがなく,内容の異同著しいことが判明した。つまり,本書は貞幹自身の校訂作業がなかなか進まず,資料の増補削除が繰り返されるうち定稿が成立しなかったため,異同が生じやすかった状況が理解されたのである。諸本の構成については別表にまとめたが,確認できる写本を見る限り全体が纏まって遺されているものは少ない。大半は25巻本系統の内容を持つが,例外なく巻19に異同を見せており,先の目録に見えない資料が付される場合すらある。また20巻及び30巻で構成されるものが見られるが,これらは内容上異本と見るべきものである。以下諸本を概観してみよう。京都市立芸術大学本は草稿本と呼ぶべきもので,注記や校正が多く書込まれ,貼紙による修正も多い。浄写されたものに省かれた部分が未整理のまま残されていることは彼の校正作業が見えて興味深い。これに対して国立公文書館内閣文庫本は,良好な浄写本であり,現存写本の中では最も整理されたものである。他の写本には名のみ見えて図が割愛されたものも丁寧に-92 -

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