鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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久5年=1194)は初層に金剛界大日如来像を安置し,四天柱は月輪中に描かれた金剛4.おわりに一今後の課題一また,今日現存する柱絵の中にも月輪仏が描かれたものを幾つか見ることができる。そのうち鎌倉時代における主な例に触れておきたい。滋賀・石山寺多宝塔(国宝,建界三十七聰,五大明王,天部像四体の姿を確認することができる。また,京都・法界寺阿弥陀堂(国宝,鎌倉前期)は丈六の阿弥陀如来坐像を安置し,四本の内陣柱に金剛界三十七尊のうち無量痔如米を除く三十六雌,賢劫十六尊,十二天の六十四体をそれぞれ月輪内に描く。さらに滋賀・西明寺三重塔(国宝,鎌倉後期)では初層に金剛界大日如米坐像を安んじ,四天柱には月輪内に金剛界諸腺を描いている。以上,月輪仏や鏡像風淳像が表わされた柱絵を見てきたが,それぞれに共通する特徴として両界,金剛界曼荼羅などの密教の曼荼羅が主題とされていることを指摘することができる。このような例は,白銅製の月輪内に表されている金色堂巻柱の菩薩像も何らかの密教の曼荼羅を表現していることを示していると言えよう。以上,金色堂巻柱に表わされた菩薩像をめぐり検討を試みてきた。そして,菩薩像か鏡像風であることから,これが密教における観想像であること,さらに同時代の月輪仏や鏡像風尊像を飾った柱絵の主題が両界あるいは金剛界曼荼羅に占められていることから,金色堂巻柱の主題も密教の曼荼羅であると推測できることを述べた。また,鏡像・懸仏研究の面から見れば,従来より不明な点が多いとされる鏡像や懸仏の使用方法について,十二世紀においては曼荼羅を構成する尊像として堂内を荘厳する目的に用いた例があったことを指摘した。本稿は巻柱の菩薩像の基本的性格を検討することを主眼としたため,今後に幾つかの課題を残している。まずひとつは,金色堂など平安後期の阿弥陀堂の柱絵に曼荼羅という密教的主題が揺かれるようになった経緯である。これについては,平安後期において阿弥陀如来を金剛界大日如米と一体と見る教義があったことが既に指摘されているが(注7)'金色堂でも阿弥陀如来を金剛界大日とみなし,阿弥陀如来を中心とした密教世界が形作られていたと考えるのが穏当であろう。そして,ふたつめの課題は巻柱の主題の特定である。四十八雌が構成する曼荼羅の名称を知るためには,巻柱が胎蔵界曼荼羅等の諸図像に見ることのできない特異な印,利甘の像によって占められるに至った背景を明らかにする必要がある。-93-

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