鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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注最後に,印相に関して検討する際に注目すべき点として,巻柱に全く同じ印相の像が数組存在することを指摘しておきたい。胎蔵界曼荼羅では同じ腺容の菩薩像が複数描かれることはないから,巻柱の場合は何らかの儀軌によったのか,または製作時に一個の図像を複数回使用しなければならないような事情があったのであろうか。仮に図像の不完備が同じ尊容の菩薩像を複数体生み出す一因であったとすれば,あるいはこのような事情が胎蔵界曼荼羅に似て非なる曼荼羅を作り上げた背景のひとつである可能性もでてこよう。(1) 石田茂作「七賓荘巌巻柱」解説(『中尊寺大鏡』第一,大塚巧芸杜,昭和16年)。(2) 浜田隆「金色堂の巻柱絵について」(『佛教藝術」72号,毎日新聞社,昭和44年)。(3) 箪者はかつて鏡像が誕生した経緯について考察したことがある。詳細は前稿をご参照いただきたい(拙稿「鏡像の成立」〔『佛教藝術』206号,毎日新聞社,平成5年〕)。(4) 『長秋記』長承三年四月十日条御堂御佛造立間事十日已丑。晴。参院。病未復尋常。然而依伊典國司強勧所参仕也。是御堂事。棟上以前為申定也。申刻相具師仲所参仕也。以伊典國司。御ロニロ]菩薩廿六鉢。井堂中長押上廿五菩薩居像綸獣覧。日来以佛師應源所令圃也。其次令申云。如此木像等。就國沙汰可作欺。就佛所沙汰可作賊。仰就佛所可有沙汰者。於綸像。且神妙所御覧也。又申云。御佛光化佛可被用何哉。飛天欺。又唐草欺。定朝佛多飛天光也。可然欺。仰。定朝以後。近代吉佛者。皆作飛天光。今度如然欺。又申云。御佛光可為飛天者。同者以十二光佛付内光。以廿五井付縁光矢便宜候欺。又瑠璃壇□二]本鏡佛像。可摸鳥羽御堂欺。仰云。如汝申。(後略)(5) 『史料大成』本(臨川書房,昭和40年)(注4)では,「瑠璃壇□□]本鏡佛像」の語句に二字分ほどの判読不明な個所があるが,同じく『長秋記』長承三年六月十二日条に「(前略)抑御堂瑠璃壇柱四本。前日自納物所給料物。可有御沙汰者。(後略)」(傍点筆者)と見えることから,その個所は「柱四」であったと考えることができる。(6) 『仁和寺諸院家記』には法金剛院東御堂について次のように見える。同東御堂。上西門御建立。檜皮葺ー間四面。安皆金色周一丈六尺阿弥陀ー林。光中鏡面奉園化仏九鉢。輪光鏡面奉書梵字員言十ー返。仏後壁園極栗世界井九品往生万-94-........

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