鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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/ ヽ【聖衆来迎寺本「人道不浄相図」】れば,無量種の虫蛸ありて,臭き処に雑はり出づ。悪むべきこと,死せる狗よりも過ぎたり。乃至,白骨と成り已れば,支節分散し,手足・骨蜀牒,おのおの異なる処にあり。風吹き,日曝し,雨濯ぎ,霜封み,積むこと歳月あれば,色相変異し,遂に腐れ朽ち,砕末となりて塵土と相和す。」しかし,厳密な意味でこの言説と絵画は一致しない点がある。すなわち,まず第一に,絵画に描かれているところの死してまもない新死相。これについて「往生要集』では具体的に説くところがない。むしろこれは『観仏三昧海経』巻二あるいは弘法大師空海偽作の「九相詩」,蘇東波偽作の「九相詩」等に詳細に説かれる場面である。第ニに,屍体が鳥獣に喰われる嗽食相について。『往生要集』ではこれを九相のうち五番目に説くが,これに対して,本図では屍体が青く腐り岨虫の集る青癒相の次,七番目に描いている。この順序は『摩詞止観』九相観に説かれるところと一致するものである。また,骨相について肉片が付着したものと白骨と化したものと二種に描き分けている点も絵画は「二種の骨を見る,ーは膿膏を帯び,ーは純ら白浄なり」と説く『摩詞止観』の記述に全く一致する。このように,聖衆来迎寺本「人道不浄相図」は『往生要集』所説を逸脱して『摩詞止観』など他の教理を参照して作画された可能性のあヽ-97 -

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