鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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らざれば,復た塚間に往きて前の如く観察し其の相を取るべし」という教理に根ぎしたものであるだろう。但し『法界次第』巻中などでは「九想は是れ仮想観にして実感に非ず」とあり,実際の屍体を眺めることを勧めてはいない。むしろ『妙法蓮経玄義』にて「昔坐禅の人の為に房金を作り図画して死屍の観を作さしめた者が(死後に)昇る位」として「常遊戯」が善行の者の死後の位置付けの一つとして規定されていることが,美術史の立場からは注目される(注11)。実際の屍体あるいは描かれた屍体でさえも,それを観ることは「稿れ」の共同幻想を越えて仏道修行として認知された行為であり,我国中世杜会においてこれを実践した者は高く評価されていたことがわかる。『往生要集』は人道の不浄性について肉体の構造自身がもつ汚さなど様々な械れについて言及するものであるが(注12),そのなかでも聖衆来迎寺本「人道不浄相図」が特に死機のみをモチーフとして描かれた理由はまさにここにあり,また言い換えるなら,本図を観る者は所謂「メメント・モリ(死を想え)」といった洋の東西を問わない普遍的ともいえる宗教観を抱いたことが想定されるであろう。それにしても,絵はなぜ男性ではなく女性の屍体を描写するのであろうか。我々が試みようとしている聖衆来迎寺本「人道不浄相図」読み解きのためになんらかの情報(コンテクスト)を提供してくれるような,男性/女性といった性的枠組を構築し得る古い説話記録のたぐいは存在するのであろうか。『宝物集』には次のようなエピソードが収録されている(注13)。「歌人の源兼長には最愛の妻がいた。しかし,あるとき胸騒ぎがして妻のもとを尋ねてみると,いましがた妻は亡くなり,侍女が鳥部野へその遺骸を葬ったところであるという。物もおぼえず鳥部野へと歩んでいくと,そこで彼は亡き妻の屍体に犬がかぶりつく様を目撃してしまったのであった。」兼長はこのときー首の歌を詠んで世の無常と1夢さを嘆き,これを契機に出家したと伝えられる。『当麻曼茶羅疏』が所収する三河入道に関する記事もまた同様の出家諌である(注14)。「三河入道寂照(大江定基)にも最愛の妻がいた。彼女もまたなんの前触れもなく突然に死んでしまう。定基は悲しみのあまり別れ難く,紫野に葬られた遺骸のもとに行き,七日七晩その屍体と供寝をした」と語られる。この異常な経験が彼に無常を悟らしめ,世俗を離れるきっかけとなったのであった。この定基伝説はより古くは『今昔物語』収録の「参河守大江定基出家語」にも見られるものである(注15)。但し,この『今昔』所収の説話では葬送後の妻の屍体との添-100-

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